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あの頃のあたしに逢いに行く。

東西南北も左右も、何もかもわからないし、解ろうとすらしていなかったあの頃のあたしに故意的に逢いに行くのは、夏の分を数えると2回目だった。今年はよく、過去を振り返ってあの頃のあたしの話を「どうだった?」と自問自答している。
今もよりももっと、ふわっとしていたあたしが通っていた小さなその場所にに挨拶がてら立ち寄ったのは先週の土曜日だった。

あの頃世間はスマホではなくガラケーの時代で道に迷ったら最後、方向音痴のあたしとしてはかなり不自由な時代だったと思う。この間も地下鉄の階段から地上に出てきて、「ここはたぶん、左」「次はこの鳥居が目印で右」「その後は・・・」と記憶をたどった。何年かぶりの道をアプリで検索してスッと目的地にたどり着くことは簡単だったのだろうけれど、私はあえて、あたしの記憶を呼び覚ますことに集中した。


案の定、道は2回ほど間違えた。


その場所に通うようになったのは「目的」や「夢」を持っている人がたくさん集まってくる場所だったからだと思う。その頃のあたしは「なんにもない」と自分で自分を認識していて、そこに集まってくる人達のようになりたかったんだと思う。あたしはみんなが持っている「目的」やら「夢」が具体的に欲しかったんだと思う。

何も解ろうとしない。変わろうとしないあたしを、叱ってくれた人がいた。それが、どれほどの応援や愛だったのかに気が付いたのもほんの2年前くらいの出来事で、それに気が付いた瞬間に感謝を伝えきれず声をあげて泣いた。


生きていると、どうあがいても「当時」と呼ばれる時分に解かりたかったこと。解らなかったりする出来事に出くわす。どうしても、解るようになるのに時間がかかってしまうことに嫌でも気が付くようになる。でも「その時」はどうしても解らないのだ。どうしても。
後悔とは少し違う種類のあの気持を、できる限り味わいたくはないから「今」を生きようと人はするのかもしれない。





小さな場所は相変わらず「夢」や「希望」に溢れていて、私は
「ここはいつでも夢が集まってくる素敵な場所ですね」
と、年末の挨拶と共にその小さな場所を後にした。

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