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このところ思うこと。

ふとTwitterに写真を投稿したらすごく嬉しいコメントがあって。なんか凄くいいです好きですと言われた。
これ自分としてはすんごい好きな言われ方だし。SNS上でのやり取りはあっても、会ったこともない方にそんなこと言われるってめちゃめちゃ嬉しかった。

このところTwitterのアルゴリズムが…なんて話が飛び交っている。フォローしている人の投稿がTLにほぼほぼ反映されないというあれ。リストを作成することで回避はできるものの、いちいち手間ではある。数の強さだけがひたすら先行していくのもなんだかなーと思うし。運営からしたら強いアカウントがよそへ移動していくのを食い止めたいんだろうけども。

先日、これについての投稿を読んで妙に納得してしまった。すごーく端折ると、発信主自体のコンテンツの強さや人間らしさみたいなものに回帰していって、狭くて深いところでの楽しさに突き抜けたアカウントが強くなっていくだろうといった内容だった。
これは妙に腑に落ちたし、ちょっと安心した。
面白いものが見つかると一気に食べ尽くされて、カタチをなぞることが瞬間に果たされてしまう時代で。いまの世の中のテンポとはそーいうものだし、そもそもSNSってそういうもんだ!と言われたらそうなのかもしれんけど…自分はもにゃもにゃしてしまう。
じゃあそもそもなんでSNSをやっているんだろか。
思考や写真の記録としての意味もあるし。通ってきた足跡や見ている先、好きなものや思考を文字化することで、仲間を探しているような気がする。

自分は物が好きで、古くても新しくても作家モノでも工業製品でも。何か響くものがあれば見に行くし手に入るものであれば無理をしてでも手元に置きたくなってしまう。実際にそうしてアトリエは物に溢れている。極度の物偏愛の物好きだ。
TLを眺めていて「いいね!」だけで足りなければDMをいきなり送って喜びを興奮まじりに伝えたくなってしまうテロリストでもある。

このところずっと考えていたスタンスのような、急に話がデカくなるけど…生き方みたいなものがぼんやりまとまりつつあって。自分の好きと楽しいが誰かと共有できるということが、それ自体が幸せなんだなぁとしみじみ。

最後の一枚は自分でも妙に腑に落ちて。自分のアカウントとしてはいつもより多めの反応があったことも単純に嬉しかった。いつもコメントやいいねをくれる向こう側には、数では見えない顔があって。あと何人でフォロワー何万人!なんてこととはまるで違う世界線にいて。こちとら顔あるし生きてるし。お前の数を埋めるために生きているんじゃないわと思う。このまんま人間くさいアカウントとして存在していこうとあらためて思う。

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