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書くこと

息子が2歳の時から、ブログやFacebookに
駄文を連ねるようになって
振り返れば、もう、18年近くになる。

気付きを言語化することは、私の中で
もはや、無くてはならない習慣だ。
ピン!ときたら、書く。
これまでにない感情が湧いたら、チャンス。
なぜ、そんな気持ちになったのか
どうして、こんな状況になったのか

良し悪し関係なく
ちょこっと掘り下げて、言語化しておく。

言語化することで、記憶は記録として
頭の中の引き出しに収まる。

整理整頓されているから、見つけやすいし
取り出しやすい。

似たような経験や状況に遭遇した時
取り出すことで、自分はもちろん
だれかを応援することも出来たりする。

だから私は、書くことをやめられない。

コミュニケーションは筋トレだ。
トレーニングすることで
必ず鍛えられるし、筋肉は裏切らない!

書くこと、そのものも
もちろん場数を踏むことで鍛えられるけど
書くことを鍛えることは
あらゆるコミュニケーションの「支え」にもなる。

話すこと、聴くこと。
思考がきちんと「言語化」されていることは
それらのコミュニケーションの礎となる。

一方で、書くことを含む
「表現」することは、怖さを伴う。
自分の意見を言語化することで
誰かに批判されて
自分が傷つくこともあるかもしれないし
思いもよらないところで
誰かを傷つけてしまうこともあるかもしれない。

そこを乗り越えて「書く」ことに挑むことに
意味はあるのか?正直、悩んだこともある。

それでも、私が書き続けるのは
勇気を出して、不安を越えて
「ことばとして表に現す」ことで
沢山のご縁が生まれたからだ。

どんなに素晴らしい考えも
どんなに深い思いも
「ことば」にしなかったら、何にも生まれない。

ま、私の場合は
元々「書く」「話す」が仕事だったから
抵抗感も少ないのだろうけれど

18年続けてきたことで、ことばの反射神経が
磨かれていることは確かで

最後はやっぱり
コミュニケーションは「筋トレ」だなぁと
そこに還るんだよな。

Facebookで、今は21歳の青年になった息子の
昔の写真と記事が時々出てきて
懐かしく思い出すことがある。

日々、仕事に追われる日々が
ゆるまる瞬間
書いててよかった~と思うんだな。

今日から、あなたも書いてみませんか?





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