見出し画像

だから私は今日も「手紙」を書く

思いのたけが、溢れてしまいそうな時には
何も考えるスキを作らないように
身体を動かすか
別の事で思考を埋めるか
柿の種をむさぼり食べるか
駄文を連ねるか、あるいは泣くか💧

で、最後に行きつくところは
自分の「思いのたけ」を余すことなく
手紙にしたためる

自分宛に
時には、思いを伝えたい誰かに

私は、手書き派ではなくPCで打つ派で
とにかくカチャカチャ打ちまくる(笑)

カチャカチャ、カチャカチャと
何度も推敲しながら
「ことば」を探して手紙を書くと

有り余る思いも、ちょっとだけ
俯瞰で眺められるようになって
自分の心も、これまた、ちょっとだけ整う

この「ちょっとだけ!」ってのが
実はポイントで
大半は、もやもやっと「ことば」にならずに残る

「大事なことは、ことばにならない」とか
「大事なことは、ことばにできない」とか
よく言われるけど
へそが曲がっているからか、私の場合は
「大事なことだから、ことばにしたい」

そうして、もがいて、苦しんで
どうやっても「ことば」にならない
ギリギリの所に残ってしまう
「もやもや」こそに
見えないんだけど、本当の想いが
あるような気がする

エッセイストの松浦弥太郎さんは
文章を書く際に、心がけていることは何か?
と聞かれると
いつも、こう答えているそう

大切な人を思い浮かべて手紙を書くように。
大好きな人にラブレターを書くように。
(中略)
ぼくは自分が書くもののほとんどを
手紙としている。
それも誰か一人のために書くものとして。
そして、ペンを持って、もしくは
キーボードに指を置いて、
最初の言葉を書く時、こんなことを思っている。

手紙の目的とは、相手に喜んでもらうこと。
嬉しくなってもらうこと。
返事を書きやすいように。
正直に、親切に。そして最後に、
あたまをできるだけ働かせず、
こころをたっぷりと働かせること。

松浦弥太郎「伝わるちから」より

ああ、同じような思いで
文章を書いている人がいるんだなぁ、と
失礼ながら(次元の違いはさておき)驚きつつ
ちょっと嬉しくなった

私も昔から手紙を書くのが好きで
SNSなどの投稿も
いつも「手紙感覚」で
ことばを重ねている

なぜ手紙が好きなのかと言えば
手紙を書いている時って
ずーっとその相手の事を
考えていられるし
その人が笑顔になることを想像すると
何より私が嬉しいからだ

わがままなんだな(苦笑)

加えて、手紙って
読むか読まないかは
相手次第というメディアであることも
好きな理由のひとつ

わがままなんだけど
相手には押し付けたくはない

この両立が
手紙なら叶うんです

今日も、手紙を書くように
文章を書ける幸せと喜びを
このnoteで、味わおう








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?