日記(le 18 janvier 2022, mardi)

ひさびさ再開のこと

半年ぶりぐらいでnoteを書く。改行とかいろんなインターフェイスが変わっていて戸惑っている。
半年間、非常勤講師を週に1コマだけだが受け持って、それもテクストを指定してほとんど学生に話させる演習なのだが、それに追われて何もできなかったに等しい。鬱病が悪化して無職で何もせずひきこもっていたのを、無理に人前に出て喋るのだから大変である。鬱のせいで本も読めないのに難しいテクストを指定してしまったから、下読みやら何やらも大変だし、1週間7日のうち1日働いて残りの6日間は屍のようになって過ごしていた。
何ならシャワーを浴びて、部屋着以外のちゃんとした服に着替えて、サンダル履きでなく靴を履いて、眼鏡をかけてマスクをして家を出るというすべてがしんどかった。そういうレベルにまで退行していたわけだ。しかも年末にはまさかの給湯器が壊れ、パンデミックの影響により給湯器不足が起こっていることはニュースにもなったが(そして僕にまでテレ朝から取材の申込みがあったが)供給に通常なら遅くとも数日程度で済むところを何ヶ月かかるかわからないと言われ、自宅でシャワーを浴びるのさえ困難なのに徒歩5分強のところにある銭湯まで大荷物抱えて歩いて通わねばならなくなり、困り果てている。

教員免許更新のこと

結論から言うと、僕の怠惰のため教員免許の更新はできなかった。都の時間講師に登録して(人手が足りていないらしく僕のような者にもたびたびいろいろな学校から時間講師で来られないか打診の電話があった)面倒な書類手続きを済ませ、安くない受講料を払い込んで、あとはオンデマンド講義を受けて小テストに答え、最後の大テストに答えて郵送すれば受講終了というところまで漕ぎ着けていた。
しかし、せっかく夏休み中からオンデマンド講義は受けるチャンスがあったのにどうしてもやる気が出ずに後回し、先延ばしにしてしまい、休みが明けたら前述のように非常勤でそれどころではなくなってしまい、気が付けば1コマも受講しないうちに〆切が来てしまい、とうとう教員免許を更新することはできなかった。
免許が失効してからも猶予期間のようなものがあってその間に更新講習を受ければ資格が回復されるようなことも文科省その他のサイトに出ていたのだが、具体的にどうすればいいのかはまったく出てこないので謎である。どこに問い合わせればいいのか、教育委員会なのか、更新講習を受けるはずだった大学の事務局なのか、何もわからない。
資格なしで就活したところで何も成果は出ないことは2020年に身を以て学んだし、どうにか教員免許を更新して非正規の時間講師でもいいから中学高校の国語の教員をやって日銭を稼がないとにっちもさっちもいかないのだが、もしそれができないとしたら……?
いつまでも親の脛をかじるわけにもいかないし、首をくくるほかないのかも知れない。

うつねこと過ごした夏のこと

去年の夏は何もできないで寝床に転がって、毎日のように「うつねこ」と対話していた。
「うつねこ」というのはツイッターを中心に漫画やイラストを発表している架空女児じょじむら氏(日下幹之氏の別名義。わざと女児がクーピーペンシルで書き殴ったような絵と字で漫画やイラストを発表している)のえがく青いハチワレ猫のキャラクターで、その名の通り鬱病をわずらっていていつも元気がない。自宅で和紙の飾り花を作る仕事をしているが、鬱のせいもあってあまり捗っていない。しばしば薬をODしたりして、友達の「げんきねこ」に心配をかけている
そのうつねこがスマッシュヒットを飛ばしたのはツイッターにたびたび上げられる漫画ではなく、アマゾンにキンドル無料本として上げられた「きみが元気のない時に見る本」「きみがさびしい時に見る本」という2冊のささやかな絵本によってだった。ここでうつねこは鬱の先輩として、「ずっとしんどかったらカジュアルに病院行けよ」とか「他人を自分のつらさの物差しにするなよ」とか「元気が出たら何する?しなきゃならないことは置いておいて、したいこと考えようよ」とか、いろいろ優しい、心にしみる言葉をかけてくれる。「さびしい〜」ではお茶まで淹れてくれる。それが藁半紙に色鉛筆で書き殴ったような絵に、習いたての子供が書いたとしか思えないような不揃いな字で表現されているのだが、不思議と癒やされ、元気をもらえる。
このうつねこに慰められて、何もできないゴミクズクソ汚物の蛆虫野郎こと僕は教員免許更新講習も非常勤の準備も後回しにして、ただひたすら寝床の中でポロポロ涙ぐんでいたのだった。
無料本なうえキンドルのアプリなどを入れなくてもブラウザからアマゾンのサイト上で中身を読めるので、何もできないぐらい元気のない人などは是非見てほしいと思う。うつねこについてはもう少し詳しい記事を書けたらいいなと思っている。

短詩形のリハビリのこと

夏頃から短歌に復帰するためのリハビリとして、単行本で出ている葛原妙子論や小中英之論を読み、また成瀬有や塚本邦雄や山中智恵子を読んだりしていたのだが、なかなかうまくいかない。詠む歌はとても自分の歌とは認められない駄作ばかりだし、そのために角川の短歌年鑑の自選5首も断った。
そんなひどい状態で、もううた詠みとしては終わってしまったのかなと思っていたが、2021年の話題となった平岡直子さんの第一歌集『みじかい髪も長い髪も炎』をつい先ごろ、今年に入ってから読んでみてさほど抵抗なく読めた。それから暮田真名さんの川柳を集めた句集『補遺』も、ちょうど昨日非常勤の関係でコーヒーを飲んだりして寝付かれなかったので読んでみたらおもしろく読めた。平岡さんの作風も暮田さんの作風も、もともとの僕だったら苦手だったはずの「わからない」タイプなのだけれど、今は一から十まで、隅々まで行き届いて理解し尽くしてやろうという従来のような読み方ではなくて、ただ目の前を通り過ぎていく「わからない」けれど華やいだ歌たちを楽しく眺めていればいいのだという鑑賞の態度を獲得したらしい。鬱病の悪化を経て心境が変わってきたらしい。こんなにハイセンスなところで勝負している人たちがいるのに、自分はシニフィアンとシニフィエがベッタリくっついた古めかしくてダサい説明過多な歌ばかり詠んできたことが恥ずかしくさえ感じられる。(パンデミック前まではそこから脱するためにいろいろな試みをしていて、『Q短歌会』創刊号に載った松永洋平と僕のロングインタビューでも「空虚」というキーワードのもとに少し触れたような側面からのアプローチを試みていて、中には成功した作もあるのだが、今はもうそういう歌は詠めなくなってしまった。余談だが『Q短歌会』創刊号の松永洋平と僕のロングインタビューは資料的価値の高いものと思われるので、通販などでも手に入らなくなってしまった今、ネット公開などしてくれないかと思っている。)
そんなわけで今は平岡直子と暮田真名という二人の作品を読んでいるので、読み終わって心身・時間ともに余裕のあるときにそれぞれnoteの記事として、簡単な評言を付した引用集のようなものを書くことになるだろうと思う。それはきっと短歌についての文章を書くリハビリになることだろう。
平岡さんに関しては第一歌集のほか同人誌「外出」のうち手許にすぐ見付かるものを、暮田さんに関しては『補遺』のほかに『ぺら』と、「当たり」総集編に掲載の作品をそれぞれ読み終わったあたりで書き始めることになると思う。最初に書いたように非常勤の負担が1コマだけなのにとても重いので、学年末ということもあり時間がかかってしまうかも知れないが、まあうまくいけば2月半ば以降ぐらいには書けるのではないかと思っている。


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