アプリをインストールしていないので、たまたま目について読んだ神人さんの投稿が、言い得て妙、まさにドンピシャの表現でした。 学会員には自ら真実を調べようとする姿勢が、身についていない人が多いのかもしれないと感じています。(自分の周りだけかも) 現在の青年部は先輩に好きなことを言えるようになったのかもしれないが、自分たちの世代は、『はい!』と言って受ける。それが信心だという教育を受け入れて来ました。「でも、しかし」を言う人は成長が遅い、と言われていた時代だったように思い
予告していた「被害者の会」については、まだ接触がないので、記事を延期します。 現在は、学会から抜け出て、広い世界に羽ばたいて独自の活動をしているグループについて研究しています。好き嫌い、善悪をジャッジせずに、その存在を紹介したいと思います。 前置きはここまでとして、10月からはじまるレプリコンを目前にして周囲がザワザワしてきた感あり、背中に圧力を感じ一歩前に押し出されました。 カタリン・カリコ、ノーベル賞受賞者が一面に。このタイミングで、レプリコンは安全だと?
つづきの記事、「創価学会 被害者の会」について、思うところを書こうと思っていたら、シンクロしたかのような内容が降ってきたので、こちらの神人さんの「みたまとの対話」を先に引用させていただくことにする。 どちらの靈団のみたまかは分からないが、死後の世界との違いと戸惑いがよく出ており、生きてるうちに地頭で考えるにはもってこいの素材ではないのか。 まずは、「我が意を得たり」のシンクロが降ってきたので、ここに引用させて頂き、追って件については別記したいと思う。 さらに「日
夢のつづき…… 池田先生は闇でもあり、光でもあった、という「夢」の話。 池田先生が当時、闇側リクルートの申し出を断っていたとしたら、56されSGIは終わっていただろう。 闇側はネガティブをエネルギー源にしているので、『平和の光』の存在を放置し拡大を許すはずがない。 ここに来るまで、DSがS学会の世界進出を放置したのは、闇の同胞として利用し、拡大を許していたからと考えるのは自然だろうと思う。 戸田先生の命とも言われたS学会組織を潰すわけにはいかない。組織を守る
初めての note投稿。もっぱらコロナ関連情報を見るだけの人だった。過去から自分の趣味や考察を綴るblogは別に続けてきたのだが。 今回 noteに投稿を始めようと思ったのは、今朝の「夢」がキッカケだった。 うつらうつらのひととき、このところモヤモヤと気になっていたことのAnswerが、降りて来たような気づきがあり、背中を押されたように感じた。 普段は「夢」を覚えていることはまったくないのだが、不思議にも内容を覚えていて、ノートに書きとることができた。 創価学