真実を知らずして覚醒はない
アプリをインストールしていないので、たまたま目について読んだ神人さんの投稿が、言い得て妙、まさにドンピシャの表現でした。
学会員には自ら真実を調べようとする姿勢が、身についていない人が多いのかもしれないと感じています。(自分の周りだけかも)
現在の青年部は先輩に好きなことを言えるようになったのかもしれないが、自分たちの世代は、『はい!』と言って受ける。それが信心だという教育を受け入れて来ました。「でも、しかし」を言う人は成長が遅い、と言われていた時代だったように思います。
それが、いいとか悪いとかではないのですが、学会員は『人を疑わない』お人よしで物事を信じやすい人、俗に言う「いい人」が多いようです。
自分はと言えば、人生でこっぴどく騙されたり詐欺られたりした経験はないのですが、親の体験を見て人間の狡賢さを学んできたせいか、直感を働かせ、自ら調べて真実を探究する姿勢を身につけたように感じます。
親の体験というのは、複数人の保証人になり、破産、借金・夜逃げした人たちの訳アリ返済を何十年間も肩がわりし続けたという話。親が偉かったのは、逃げず恨まず、現役で働いていた間は淡々と最後まで支払いを遂行していました。
お陰で家族は大変な目にあったのですが、それがために、むやみに人や物事を信じることには慎重になります。毒を変じて薬となすが如く、結果、親の体験には感謝です。
選択はいつも自由でどちらでもいいのですが『聡明』であるには、真実を知ることを抜きにして、覚醒はない。すなわちこの激動期を乗り越えて、新しい地球を見ることはできないという結論に達するようです。
選択は自由です。さぁ、あなたはどちらを選びますか?
おわり
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