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『ダンキラ!!!』影宮蛍とコーヒー牛乳の関係を考察したらホタルの光が見えた


6月27日といえば影宮蛍の誕生日。
少年ダンサー育成ゲーム『ダンキラ!!! - Boys, be DANCING! -』に登場するダンサーで、極度の潔癖症としても知られている。

そんな蛍にとって至福の時間が、シャワー後の清潔な身体でコーヒー牛乳を飲むこと
メインストーリー2章ではスチルとともに描かれ、優雅なバスローブ姿でコーヒー牛乳を手にするシーンが(筆者の中で)話題となった。

ところで『ダンキラ!!!』におけるダンサーと食べ物には、何らかのつながりがあることが多い。
これまでも霧山おぼろとおしることの関係性や、夜野零士の好物である高野豆腐について考察してきたように、食べ物の歴史や特徴を探ると各ダンサーとの共通点が見えてくる。

影宮蛍にとってのコーヒー牛乳にも、何か意味が隠されているのではないだろうか。

そこでコーヒー牛乳の歴史を紐解いてみると、蛍との共通点や「ホタル」とのつながりが見えてきた。

※このnoteは100%個人の趣味で書いたものであり、公式とは一切関係ありません。

コーヒー牛乳は高級品?

日本で初めてコーヒー牛乳がお目見えしたのは、1923年4月20日
国鉄東海道本線国府津(こうづ)駅の構内で、神奈川県の乳業メーカー・守山乳業が売り始めた。コーヒーと牛乳を1:1の比率で混ぜた飲料は「珈琲牛乳」と名付けられ、またたくまに人気商品となる。
この出来事にちなみ、4月20日は「珈琲牛乳の日」として日本記念日協会に認定された。

現在では身近な飲料のひとつであるコーヒー牛乳だが、当時(大正12年)はまだまだ奇抜な飲み物。
そもそもコーヒーは江戸時代から日本に流入していたものの、高級品であり一般人にはなじみのない食材だった
コーヒー牛乳が作られたのは、そんなコーヒーを日本中に広めるためでもある。

守山牛乳の創業者である守山謙は、コーヒーの売り込みに力を入れていた住田商会社長の住田多次郎から「日本でコーヒーを普及させてほしい」と助力を請われたという。
ハワイではコーヒーにクリームを入れる飲み方があると知った守山は、自社の牛乳を使ったコーヒー製品を考えた。

コーヒーが日本人になかなか受け入れられなかった原因は、価格はもちろん味にもある。コーヒーは苦みが強いため、「焦げくさくて飲めたものではない」と酷評されたこともあった。
そこで牛乳を混ぜて苦みを緩和。さらに「砂糖を入れたら飲みやすくなるのでは」と妻からアドバイスを受け、甘いコーヒー牛乳を生み出した。

日本人に飲みやすい味を実現したものの、新発売当時のコーヒー牛乳は1本20銭
同じく国鉄で販売されていた並弁当が1箱35銭だったそうなので、飲料にしては高価だったといえる。
それでもコーヒー牛乳の味は人々の心をつかみ、驚異的な売り上げを見せた。

コーヒー牛乳と消毒

守山牛乳のサイトによると、コーヒー牛乳の製品化に際してひとつ問題があったという。保存期間の長期化だ。

今でこそ牛乳を使った飲料は長持ちするように作られているが、大正時代の牛乳は1日しか保存できなかった。
近場で売ることはできるかもしれないが、これではとても全国に届けることはできない。

そこで重要視されたのが、牛乳の品質を保つための消毒方法だった。
守山は医者として働く弟に相談し、注射器を清潔に保つための煮沸消毒法を応用しようと考える。
その結果コーヒー牛乳を1週間日持ちさせることに成功し、さらに改良を重ねて保存期間を3カ月まで延ばした。

念入りな消毒で清潔な状態を実現したコーヒー牛乳ならば、潔癖症の蛍が好んで口にするのもうなずける。

政府とのつながり

1927年には鉄道省販売品として認可を受けたコーヒー牛乳。
その後全国に普及し、守山や住田の願い通り日本人にとって身近な飲み物のひとつとなった。

さらにコーヒー牛乳は政府からも注目され、1943年には軍需品に指定される。
選ばれた理由は「コーヒーは眠気覚ましとして利用できるから」。戦時中も重点的に生産され、軍人たちの手に渡った。
つまりコーヒー牛乳は政府や軍とのつながりが深い飲み物だったといえる。

政府とのつながりは、影宮蛍にも見られる。
蛍の父親はダンキラ庁長官を務めており、政府における重要人物のひとり。
蛍自身は政界とのつながりをあまり好いていないものの、同じく政府とつながりのあったコーヒー牛乳に親近感を抱いていてもおかしくはない、と深読みしたくなってしまう。

コーヒー牛乳発祥の地とホタル

前述したように、コーヒー牛乳が初めて販売されたのは国府津駅
国府津駅付近を調べてみると、「蛍の里」という自然保護公園があったり、ホタルの目撃情報がある寳金剛寺(宝金剛寺)があったりと、なにかとホタルとの縁が感じられた。

さらに国府津駅から電車で約20分ほどの距離には、「螢田」という駅もある。
名前の由来は諸説あるが、かつては駅周辺にホタルが飛ぶ田園地帯があったらしい。
しかし環境の変化によってホタルは激減。今ではほとんど目撃されなくなってしまった。

ホタルが生息できる環境を作るためには、清潔な水暗く静かな場所などいくつもの条件を満たさなければならない。
螢田では再びホタルが飛び交う景色を再現するために、小田原アリーナの近くを流れる川を「蛍川」と称し、環境保護活動や人工繁殖などに取り組んでいるそうだ。

繊細できれい好き、しかし実は毒を持つなど影宮蛍との共通点も多いホタル。
「冷光」と呼ばれることもあるほのかな蛍火は、今なお人々の心を魅了している。


※参考サイト
http://www.fujimilk.co.jp/company/story.html
http://www.fujimilk.co.jp/company/history.html
https://www.kirin.co.jp/entertainment/museum/history/cultural/04.html
https://hamarepo.com/story.php?story_id=5391
https://www.townnews.co.jp/0607/2018/06/16/436446.html
https://weathernews.jp/s/topics/201805/090145/

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