科学とは何か?3 科学的手法について

1〜3で、科学は正義のパワーワードで、それは科学が信頼性の高いものだから。信頼性が高い理由は、科学的手法(scientific method 科学的方法と訳すことが多い)を使っているから。
と話を進めてきました。
*実は科学的であるとはどう言うことか?というのは、まだ議論中です。
ただ、今のところ一番確からしいものを「正しい」としてここから話を進めます。

最初に身も蓋もないことを言いますが、
科学的手法に完全な正解はありません。

正解のないものを議論する価値があるのか?と思うかもしれませんが、大アリです。
なぜなら、「正解のない物事を議論する事こそが科学だから」です。
という事で、ここからは出来るだけ科学的な姿勢で、科学的手法を考えていきます。

なんだか、科学とは何かを科学的に考えるという事で、ウロボロス(自分で自分の尻尾を飲み込んでいる蛇)のようですが、
・やってみなけりゃ始まらない
・バットは振らなきゃ当たらない
という事で、とにかく進んでみましょう。

「科学的手法」を科学的に論ずる前にまず、「科学とは何か?」について、いわば前提条件です。

私が考える「科学」の前提条件は、
・科学とは、「現象が起こる、または起こった理由を考えること」
とします。
平たく言えば、「なぜこのようなことが起こったのか」を考えるということですね。
ただ、それだけだと私が感じる「科学の持つパワーワード性」が説明できません。
ということで、この前提条件は必要条件であり、十分条件ではないということにします。
平たく言うと、「科学とは”なぜ?”を考えるものだが、”なぜ?”を考えるものがすべて科学であるとは限らない」ということです。
そこで、十分条件としてその2で語った特徴を仮定として導入します。
詳しくはあとで言いますが、その2で考えた”科学がパワーワードと思える理由”を科学であるための条件として仮定するということですね。

注意してください。
このあたりから、私の仮説になっていきます
つまり、反証することが可能です。
もっと言えば、読者の皆さんが自分で考えて、反対もできるし賛成もできるということ。
ただし、賛成にしても反対にしても、できるだけ「科学的手法」を用いていただけるとより建設的な議論になるでしょう。

仮定「科学は、今まで1〜3で述べてきた特徴を備えている」。

仮定として、次の様に考えます。
科学が、多くの人にとって正義のパワーワード
・そうである理由は、科学が謙虚かつ正直で、そうであるが故に信頼できるから
謙虚である理由は、自らを仮説であるとしていて、しかもその根拠となる仮定もオープンにしているから
正直である理由は、厳しいチェックを受けて、もし一つでも不合格なら、その仮説が間違いであるとすぐに認めるから

これらの仮定が正しいならば、科学は4つの要素を持つと考えられます。

1仮説構成
科学は仮説ですから、これを作らなければ始まりません。
仮説なので、前提条件があるはずで、それをオープンにしなければなりません。
そうする事で、チェックする際にどの様な反論を試せばいいか、わかりやすくするわけです。

2情報収集
打ち立てた仮説が正しいかどうかを確かめるため、情報を集める必要があります。
情報を集めるための状況を、わざと作り出すやり方、つまり実験を行う事もありますし。
状況をひたすら観察して情報を集めるやり方もあります。
普通は実験できるなら実験して、それができないなら観察するやり方をとる、という感じですね。

ここで重要なのは、実験や観察に手心を加えない事。
自分の立てた仮説に引っ張られる事なく、公平に行う必要があります。

3 情報分析
手心を加えることなく、公平な立場で集めた情報を、分析しなければなりません。
この分析には、「この情報は信頼に足る情報か?」とか「情報を収集するときに、偏った見方・考え方をしていないか?」を考えることも含めます。

4 結果検証
分析した結果を検証して、前提条件や仮定が正しいかどうか、というより「間違っていないか」を検証しなければなりません。
この検証作業も仮説を提唱した人以外が行いやすいように、過程をオープンにしておく必要があります。
そして、他の人が同様に検証作業を行って、間違っていないかを確かめていくことで、その仮説の確からしさが増していくわけです。

つまりこの4要素「仮説構成」「情報収集」「情報分析」「結果検証」が満たされるような議論の手法が「科学的手法」であると考えました。

私が「科学的手法」の仮説を確かめるために使ったのは、学術論文の構成です。

論文の構成には一応パターンがあります。
英語で書きますと
1. Introduction
2. Materials and methods またはData and methods
3. Results
4. Discussion
5. SummaryまたはConclusion
です。

Introductionで、この論文のテーマとか仮説を軽く紹介して、そのための実験や観測の方針について導入を行い。
Materials and methodsならば、使用した材料・機械・ソフトウェアなどの条件とその実験(観測)手段について。
Data and methodsならば、分析のために集めたデータとその分析手段について。
Resulsでは実験、観測、分析などの結果について。
Discussionでは、得られた結果から導き出される過程を記述して。
SummaryまたはConclusionで得られた結果から初めの仮定(仮説)が正しいと言えたのかどうか。
さらにはどのような検証が残っているのか。
その検証のためにはどういった実験・情報収集などが必要か。
を、総括しつつを議論します。

ところで、学術論文は「この論文が学術論文として認められる」と判断されないと世に出ることはありません。
その判断は、多くの論文を書いてきた経験者が複数で行います。
そして、これは仮定ですが、その判断基準は「その論文が科学と言えるか?」だと思います。

仮定をさらに進めて、「学術論文の体裁を持ったものである」は、科学であることの必要条件だとします。
つまり、科学であるためには学術論文の体裁を持っていなければならないが、学術論文の体裁を持っているからと言って科学とは限らない、ということですね。
いわば、科学であるための最低条件として、学術論文の体裁があるとします。

そして、この「科学であるための最低条件こそ、科学的手法」と考えます。

ここでも注意です。このあたり自説の展開が続きます。

注意深く書いているつもりです。
何について課というと、「突っ込みどころを明確にする」ということです。
私がここまで自説を展開する所で
”~と考えます。” ”~と仮定します。” ”~とします。”
としているのは、すべて私が自説を展開した部分で、いわば「突っ込みどころ」。
ということで、そのどこかで”それはちがうんじゃない?”と言えれば、私の長々とした仮説は崩壊するわけです。
ただ、突っ込みにも作法がありまして。
突っ込みの方法は「反証を挙げる」ということで行うことになっています。
ただ単に「そうとはかぎらないんじゃないの?」程度では突っ込みにならないんですね。
「こういった場合に、間違っているじゃないか」とはっきりと出さないとダメなんです。

ただ、この反証で崩壊したとしても、今度はその反証を含むように仮説を組み立てられれば、前の仮説より強固な仮説になるわけですね。
こうして、科学は進歩してきたと言えます。

それはさておき

私が科学的手法について行った前提条件と仮定のうち、仮定について検証します。

「科学とは何か?」の前提条件に異議が出た場合。
それは言葉の定義の問題なので、私が前提条件とした「科学とは現象が起こる、または起こった理由を考えること」を別の言葉で置き換えることが必要になるでしょう。
ということで、この際それは置いときます。
(単なる言葉遊びになりますので)

ここからは、仮定について検証します。
ただ、仮定そのものではなく、仮定から導き出した科学の持つべき4要素の妥当性を検討します。

4要素、つまり「仮説構成」「情報収集」「情報分析」「結果検証」ですね。
学術論文の体裁である5項目がこれらでカバーできれば、私の仮説は妥当であるとなってきます。
では早速。

仮説構成はIntroductionに当たるのは明白ですね。
Materials and methodsやData and Methodsは情報収集と一部情報分析を含むでしょう。
Resultsは情報収集の結果の部分(後半)と情報分析の一部になりますね。
Discussionは情報分析のほとんどと結果検証の導入部に当たります。
SummaryまたはConclusionは結果検証です。
こうしてみれば、私が考えた4要素が含まれていれば、学術論文の体裁をとって説明できるということになります。
よって、私の立てた仮設は正しいと結論付けられました。

以上をまとめます。

科学的手法に関する仮説を立ててそれを結論付ける流れは以下の通りです。
(学術論文ぽく、だ、である調にしてます)

科学が次の特徴を持つ事から出発する。
科学が、多くの人にとって正義のパワーワード

その理由を以下の様に考えた。
科学が謙虚かつ正直で、そうであるが故に信頼できるから
謙虚である理由は、自らを仮説であるとしていて、しかもその根拠となる仮定もオープンにしているから
正直である理由は、厳しいチェックを受けて、もし一つでも不合格なら、その仮説が間違いであるとすぐに認めるから

そのためには、4つの要素「仮説構築」「情報収集」「情報分析」「結果検証」を持つはずである。
この4要素を持つことは、科学的であるための最低条件という仮定
その検証のために学術論文の体裁を取り上げて比較した。
比較対象として学術論文の体裁を取り上げた理由は、学術論文の体裁をとることが学術論文として発表されるための最低条件であり、その判断基準はその論文が「科学的であるか?」だと考えたため。

学術論文の体裁 "Introduction", "Materials and Methods"または"Data and Methods", "Results", "Discussion", "Summary"または"Conclusion"と前述の4つの要素を比較すると、区切り方は違うが内容的に一致した

よって、私の仮定した4要素「仮説構成」「情報収集」「情報分析」「結果検証」が満たされるような手法を「科学的手法」と呼ぶことは妥当であると考えた。

とても長くなりましたが、何とか説明が終わりホッとしています。しかし、本当の科学はここからなのです。

小見出しの通りなのです。
ここから、私の仮説は読者の方々の判定を受けて行くのです。
そして、1つでも「誤りである」となった場合は、この仮説を放棄するか、またはその「誤りである」が「これなら正解である」となるように仮説を修正しなければならないのです。

まあ、私自身、この仮説を絶対に正しいものとは言っていません。
ここから議論が始まり、「科学的とは何か?」とか「科学的手法とは何か?」とか皆さんが考えて下されば、書いた甲斐もあるというものです。

そして、「この”科学的に○○”って、本当に科学的なのか?」と考えた上で、少ない回数でもいいので、科学と似て非なるものを見破って危険を避けられれば、最高ですね。

さて、科学ネタを少しお休みして、ゲームネタを少し挟んでみようかなと思っています。
こちらの方面は、どうしても「昔のゲームは楽しかったなぁ」みたいな年寄りの繰り言になるのかもしれませんが。
でも、今でもFF 14楽しんでますし、どうなんでしょう?
そのあたりは、書きながら考えながら、なので最初と言ってる子と違ってきながら、進めてみようと思ってます。
(まったく科学的ではないアプローチになりそうです)

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