「実利がないのに楽しいもの」から得られるもの。実利がないのに楽しいもの、それは趣味。
前回、デジタルゲームは実利のないのに楽しいもの、という結論が出ました。
さらに、現在デジタルゲームをする人が、それなりにいることから、何かしら得る物があるだろうという予想も立てました。
その答えを見つけるために、実利がないのに楽しいものが他にないかを考えてみます。
とりあえず、私が楽しいと思う実利のないものを列挙してみましょう。
とりあえずデジタルゲームは置いとくとして、
囲碁、将棋、チェス、人生ゲームやモノポリーと言ったボードゲーム、麻雀
(このあたりは「アナログゲーム」でくくれますね)テニス、ボーリング、ゴルフ、ソフトボール
(このあたりは「スポーツ」でくくれます)編み物、電子工作、プログラミング
(このあたりは「物づくり」「クラフト」でくくれます)キーボード練習、カラオケ
(このあたりは「やってみた」でくくるとします)読書、漫画、アニメ
(このあたりは「物語」でくくります)音楽鑑賞、美術鑑賞、旅行、史跡探訪、博物館めぐり、植物園散策
(ここは、くくれない者たちですね)
などなど。
今全てをやってるわけではありません。
むしろ、今はやってないことばかり。
でも、今やっても楽しいだろうと言う確信はあります。
さて、この中にあなたが楽しいと感じるものはあったでしょうか。
そうであれば、あなたは私のお仲間。
実利のない物が大好きなメンバーです。
それって全部、趣味ってやつでは?と思ったあなた。
その通り!
実利がないのに楽しいもの、すなわち趣味なんですね。
多くの人が趣味を持つのに、趣味は人それぞれ。これが、実利のないものの意味が分かりにくい原因
多分多くの人が趣味を持っていて、そこから得られるものもなんとなくわかっているのでしょう。
でも、違う趣味を持つ人が、その趣味から何を得ているかはわからない。
そう、趣味が違うと得られる物が違って感じられるんですね。
でも、そう言うのを強引にまるっと言ってしまうと、きっと「満足感」ではないでしょうか。
趣味は人それぞれだからこそ、そこから得られるものもバラバラだと考えます。
先ほど、趣味からは「満足感」が得られている、と結論付けましたが。
この「満足感」、その要因となるものがいろいろあると考えます。
そして、この要因がいろいろあり、趣味によってバラバラな事。
それこそが、他人の趣味に理解を示せない原因だと考えます。
では、デジタルゲームからは、どんな要因で満足感が得られているのか?
それを考える前に、私が持っている多くの趣味から、満足感の基になる要素を考えていってみましょう。
ということで、次回からはいろいろな趣味の「満足感の要素」を考えていきます。
ちょっと回り道をしますが、多分この回り道こそが「私がデジタルゲームをする理由」を考える近道だと思いながら。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?