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僕とサックスとウクライナ

2022年2月1日。僕が真剣にサックスを練習し始めた歴史的な2月。僕がサックスを始めたことが歴史的なのではない。ロシアがウクライナに侵攻をした、未来永劫歴史に残る歴史的な2022年の2月だった。

ロシアの侵攻が始まってすぐに、ネットのニュースで一人の女性が映し出された。

〝旭川在住ウクライナサックス奏者〟

彼女はロシアの侵攻によりニュースメディアから取材を受けていた。
その時の〝サックス奏者〟という肩書きと、インタビューを受ける彼女の後ろに置かれているアルトサックスが目に入った。

僕はすぐさまネットで彼女の連絡先を調べた。


互いの揺れる心

事前に電話で聞いた彼女の自宅に車を止めて後部座席にあるサックスを出そうと、手こずっていると家の玄関が開いた。
東欧の女性らしくスラッとした立ち姿とくっきりとした目鼻立ちは、日本人女性とは違った綺麗さがあった。

「初めまして、アリョーナ です」

マスクの下の笑顔からは戦争当事者国の雰囲気すら感じることはなかった。自宅の横にあるスタジオに入ると彼女は早速、僕のサックスを手に取り色々と触りながら調べてくれた。

「うん、大丈夫。問題ないサックスね。楽譜は読めるの?何の曲を練習したい?」

そう聞く彼女に僕は多少楽譜は読めるものの、まだカタカナの当て字を無しに吹くのは難しいということと、そして「イマジン」を教えて欲しいと伝えた。

「いい曲ね。私も好きな曲よ」

色々な偶然が重なった。
サックス初心者の練習曲の中に「イマジン」があったこと。
ロシアのウクライナ侵攻により、多くの国々でイマジンが演奏されていたこと。
そして、その当事者国の女性に「イマジン」を教わること。

「家族は今もキエフにいるわ」

そう話す彼女の心を受け止めるには、僕には荷が重すぎることだった。
もちろん、彼女も初めて会った僕にそんなことは望んでいない。
だが僕はそんな彼女にこの曲を教わることに、言葉では拭えない感情を持ち合わせていた。

〝ニュースで彼女を見たとはいえ、こんな時に新しく僕にサックスを教えることは心労ではないだろうか〟

ただ僕が彼女にも伝えたのは、彼女にサックスを教わることで彼女を通し寄付を続けていきたいということ。そして彼女も自分自身、ニュースを見ながら何もできないもどかしさを抱えながらも、レッスンをしている方が少しでも気を紛らわせるとのことだった。

「手本は録音しないで」

それ以降も、いくつかの曲をレッスンしてもらっている。
曲によってはアリョーナ の手本を録音し、それを家に持ち帰り聞き返しながら練習をすることもあった。

「動画は恥ずかしいから、あまり撮らないでね」

そう笑う彼女だが、色々なコンサートで動画は撮られている。
特に日本だと、彼女がライブを行うとルックスの魅力的な姿も人を引き寄せるのだろう。

そんなコンサートやライブもコロナの影響もあって、今ではさほど活動していないと言った。

「しばらくやっていないから、もうできないかもしれない。レッスンに集中できるからこれはこれでいいけどね」

そう言って、彼女は声を出してよく笑う。自国で起きている現状を忘れるためにも明るく振舞っているのかもしれない。



先日のことだった。
「スタンドバイミーを練習したい」と彼女に伝え、楽譜と伴奏を用意してくれた。

「ここはね、こうやってスラーで吹くのよ。ここの部分はタンギングを使って吹いてもいいけど、あまり強くタンギングを入れないで」

彼女の演奏するスタンドバイミーは、今の僕にとっては果てしなく遠い音色を奏でる。いつかは出せるようになってみたい、かっこいいサックスの音色。

1時間のレッスンを終え、帰りに彼女の演奏するスタンドバイミーを録音させてもらえないか、いつも通り頼んでみた。
最初は「OK」と引き受けたが、少し間をおいて「やっぱり録音は無しで自分で吹いてみて」と意外な一言が返ってきた。


サックスは自由

誰かが吹いた曲をコピーして練習をするのは普通のこと。
まだまだサックス初心者という肩書きが外れない僕にとっては、アリョーナ の吹いた曲がとても重要だ。
でも彼女は録音をさせてくれなかった。

「私が吹いた曲を参考にすると、私と同じスタンドバイミーになるのよ。あなたはあなたのスタンドバイミーを吹いてみるといいわ。自分なりのアレンジも使って、あなたのスタンドバイミーを吹いてみたら?」

一見すると冷たく突き放された言葉に聞こえるが、彼女は突き放したのではなく、僕を次のレベルに引き上げたのだと思っている。

〝あなたは自分でアレンジできるでしょ。この曲はあなたのオリジナルで吹いてみなさい〟と。

すでに曲だけで言うならば、僕にとってさほど難しい曲ではない。
練習曲としては少しばかり簡単なメロディーだ。

でも彼女は言う。

「サックスは自由よ。歌を歌うのと一緒。吹き方に正解はないから、あなたの色を出したスタンドバイミーにするといいわよ」

最初はそう言われても〝困ったな〟としか思わなかったが、考えてみると確かにそうだ。
どんな曲も楽譜通り演奏してもサックスで奏でれば、その人の〝色〟が出る。もちろんサックスに限らず。

それであっても流石に3、4ヶ月で「自分のやり方で吹いてみなさい」は高い壁に感じたが、ポジティブに考えるとこれはこれで良い経験だとも感じる。


様々なタイミング


全てのできごとはタイミングから成り立っている。そう、全て。

僕がこの歳で唐突にサックスを始め、たまたまネットニュースで出てきたサックス奏者がウクライナ人だった。そして僕は僕自身、自分が納得する形でウクライナに寄付をしたかった。

レッスンを受け始めた当初は、それなりに複雑な心境を抱えていた。

〝本当はこんな時にサックスを教えたい気持ちではないのだろうか〟

彼女は複雑を通り越した行き場のない怒りと、大きな不安を抱えていただろう。日本人の僕には理解したくてもできないほどの。

そして、そんな彼女に始めて教わった曲は「イマジン」。

あれから、擦れるほど何度も何度もイマジンを吹き続けている。
誰に聞かせるわけでもなく、それでもほぼ毎日。

本当は中学生の頃に始めたかったが、違う部活をやっていたため吹奏楽部に入れなかった。40歳になって始めたサックスだが、やはりあの頃と同じようにワクワクする。

決して上手くはない。そしてこれからの伸び代も限られている。
でも、僕は彼女に教わることへの意味とタイミングは、すでに用意されていたのではないかと時より感じる。

ただでさえ多くないサックス奏者。ただでさえ日本に多くないウクライナ人。そしてこの状況下の中で彼女から教わる曲「イマジン」。

僕に世界を変えれる影響力は持っていない。戦争を止めれるような影響力もない。そして音楽で世界を変えれるようなアーティストでもない。サックスを始めたばかりの初心者であることに変わりはない。

誰かのために始めたサックスではない。
自分自身の〝やりたい〟に言い訳をすることなく応えている。

僕とサックスとウクライナはこの時代このタイミングで繋がり、ウクライナ出身の彼女にしか持ち合わせていない感情をサックスを通して感じつつ、僕は今日もサックスを練習する。


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