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三浦崇宏『言語化力』は帯を外して読むのを勧めたい #言語化力

頭のイメージを、感情を、そのまま相手に伝えられたら、どんなにラクだろう。脳と脳が、心と心が直結して、あなたの悲しみをわたしに注ぎこめれば、どれほど、わかちあえるだろう。

……でも、ほんとうに?

たとえそうなったとしても、あなたの悲しみを「なぜ悲しいのか」と知るには、きっと言葉がいる。状況を説明されても、追体験をさせられても、その悲しみを知るには、まだ足りない。

「言葉について考える」とは、人生の捉え方を考えることと、きっと同じだ。世界は各々の知覚によって成り立っていて、それを一定の方向性のもとで共通化し、共有化を促すためには言葉がいる。

言葉は偉大な発明であり、武器であり、友であり、愛のひとつだ。人生を、つよく生き抜くには欠かせない。なければないだけ、不便になる。

人類には、まだまだ、言葉が必要だ。それを教えてくれるのが、2020年1月22日に発売される三浦崇宏の『言語化力』だった。これはビジネス書の体裁をとった人生の指南書であり扇動書だとおもう。だからぼくは、読後に思ったのだ。この本に、この帯をつけて売ってしまっていいものか、と。

この帯に期待しすぎてはいけない

以前にNewsPicksのある記事を見ていて、ビル・ゲイツに刺さった本のタイトルのあまりのシンプルさに驚いた。そして、邦題がつけられたときの、あるいは日本の書店に並ぶビジネス書たちの、なんともいえない「役に立ちますよ」というメッセージに、失われている何かを感じた。

『言語化力』を読み終わって、表紙を眺め直すと、帯の文言が目に入った。

MBAよりも 英語よりも 大事なスキルが身につく 36の考え方

Webコンテンツのライターでメシを食っており、瞬間的に目を引きたい気持ちからタイトルワークを含めて、この流れの片棒を担いできた立場で言うのも野暮なのだが、確かに付けたくなる言葉だ。でも、この本の魅力を“言語化”したものかと問われれば、ぼくは相当に怪しいとおもう。書店の平積みで目を引くための策略なのはわかるけれど。

この本には「36の考え方」というまとめは意味を成していない。「スキル」という言葉に落とし込むには、少々無理もある。だから、スキルという言葉から連想される、即効性や普遍性を期待させるのは、果たして良いものだろうか。ぼくはこの帯が、「失われている何か」に当たるような気がしてならないのだ。

……そう書いてしまうのは、本書が決して単に「役に立つ」の範疇を超えてくれていると感じるからだ(それに、この本の役に立つポイントは、きっと読者がみんな、あらゆる場所で口にするはずだから、ぼくが書かなくてもだいじょうぶ)。

表面的で、小手先な、スキルという言葉に翻弄されてはいけない。イノベーションの氾濫を見ろ。きっとぼくたちはそうやって、舶来の言葉にふりまわされて、今を生きている。そろそろ、自らの内なる言葉の大切さに気づくべきだが、誰もそれを手引きしてはくれなかった。

『言語化力』は、いま、そんな時代に生まれた一冊だ。

スキルなんて期待せず、帯を外して、読むべき一冊だ。

言葉で人生と戦い、向き合う

本書は序章から第4章にわたって構成されている。筆者が広告やクリエイティブの現場で培った経験を、文字通り「言語化」した上で、それらすべてを推進させる「武器としての言葉の扱い方」を解説している。

ここでいう「武器」は、ビジネスに効くという意味もあれば、理不尽と面倒事の尽きない人生を戦う意味もある。ぼくが帯の文章に反発を覚えたのは、前者の意味合いが高められすぎて、後者がぼやけるからといってもいい。

筆者は自らが言葉に支えられた経験をベースに、言葉という武器の再認識と、その磨き方を説いている。だから、決して一部のビジネスパーソンに必要なものではなく、内容が理解さえできれば、どの年齢層の人にも必要なことが詰まっていると感じる。

たとえば、「言葉のセンスは磨けるか」という部分を引用しよう。

センスは才能のような、特定の人間が生まれ持った特別なものだと思っているかもしれない。そんなことはない。センスの正体は経験と価値判断の蓄積だ。(中略)人はかっこいいものとそうでないものを見分け、かっこいいものを作ることができるようになる。言葉においても同じことだ。
──三浦崇宏『言語化力』p.81,82

「センスの正体は」というところに、筆者の言語化力が表れる。このように、ある特定の流通された言葉に対して、それがいったい如何なるものであるのかを解説する力と観察眼を、筆者はあらゆるところで発揮する。そして、「センス」というぼんやりした言葉の捉え直しが起きる。

言語化力の一つの効用は、おそらくこの「世界の捉え直し」がある。筆者は思考を言語化するプロセスにおいて、その大前提を「スタンスを決める」ことだとも書いている。言語という武器を考える前には、言語を扱うための自らを言語化しなくてはならないのだ。

スタンスを決める。それはつまり、生き方の肯定ではないだろうか。

現代において幸せになるには、誰もが自分なりの幸せを「言葉」で定義しておく必要がある。仕事を必死に頑張らなくても、最低限の衣食住が手に入る時代である。だからこそ、自分にとっての幸福の具体的なイメージを自分で決めておかないと、仕事を頑張る理由を見失ってしまう。
──三浦崇宏『言語化力』p.230

端々に表れる、筆者の言葉への信頼が、ぼくは好きだ。

ライターや編集者には、もちろん直結する学び

もちろん、ちゃんと売れるための仕掛けも各所に盛り込まれているし、ビジネススキルに直結する学びもある。ぼくのnoteを読んでくださっている方は、きっとライターや編集者の方も多いだろうから、その人たちに絞って、すぐれた箇所を紹介しておこう。

筆者は現代を「普通の人」の言葉が強い時代だと書く。コピーライターといった言葉のプロたちが威力を発揮させていた時代から、今や「プロ」の言葉が効きにくくなっているという。

体感値ではわかるかもしれないが、でも、なぜだろう?

プロの作る言葉は完成度が高く、情報を伝達するためには有効だが、今は、情報を正確に伝えるためだったら画像や映像といった手段を使えばいい。言葉が持つ最大の機能は「共感」と「速度」だ。映像や画像よりも速く、情報流通の波に乗せ、誰かに共感を届ける。これができるのは言葉だけだ。(中略)普通の人が自然体で使う言葉だからこそ共感が集まる。結果として人を動かす。
──三浦崇宏『言語化力』p.17

と、こんなふうに体感値を言葉にすることの大切さは、メディア運営の指針を決めるようなときにも役に立つはずだ。これを理解していれば、「なぜ文章の記事でなければいけないのか」という議論も起きにくい。

言葉を仕事として扱う上で直結する学びもある。近年ではライティングやメディア運営の参考になる書籍としては、必携の一冊といっていいとおもう。

断り書き

なお、このnoteを本書の発売前日に公開できているのは、ぼく個人が筆者の主催するクリエイティブ塾の生徒であり、本書を先行して購入できたことで、発売前に読了したことによる。本書には良い力が込められていると思うし、出会いによって人生をわずかでも前向きに捉え直せるはずだと感じたので、勢いのまま、書き綴った。ご恵投や金銭授受による執筆ではないことは、念のために断り書きを入れておく。


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