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自分の人生のビジョンってなんやっけ

影山知明氏の「ゆっくり、いそげ」という本を読んだ。
少し前に社内で話題になっていたので読んでみた。

後半の「社会とは」「人との関係性」などなどについて書かれている章に特に刺激を受けた。

最近自分のビジョンについて考えていなかったと思わされた。別に「ビジョンを持とう🔥」みたいな啓発本ではないが、影山氏の考え方に自分の奥底にあるモヤモヤが解消されるような気がした。よく考えたら、僕が将来大分に移住したいと言っている理由や、NPOを支援したいと言っている理由が頭によぎり、言語化を助けてくれるような気がした。

忘れないようにメモ書いておく。

他人とのゆるい関わりが欲しい

佐々木俊尚氏の「広く弱くつながって生きる」を数年前に読んで、「他人との関わり方」についてなんとなく考えることが増えた。内容については忘れてしまったが、現代社会にはびこる違和感や孤独感について書かれていたような気がする。

「ゆっくり、いそげ」の第6章「私が私たちなる」が、自分がなぜ大分県に移住したがっているのかを説明してくれているような気がした。

結論からいうと、「別に大分県である必要はないが、縁ができてしまった」が答えである。

僕は、30歳までに大分県に移住したいと方方に言いまくっている。なぜなのか。

理由は3個あると思っていた。

・山、川、海、温泉があり、心がイキイキする
・ご飯が美味しいのにそんなに高くない
・家が高くない

ただ、1つ大事なことを忘れていたことに気がついた。それは、

・知り合いとふとした時に会える

4年間別府に住んでいたため、大学の友達や先輩や後輩、また学外で知り合った方々にふとした時に町中で出会う。(いや、出会ってしまう、と言ったほうがいいかもしれない)

これは、僕が大学生活を過ごしたからこそ得られた経験なのかもしれない。だが、別府市や大分市にいると基本的に知り合いを見かけるのは、偶然ではないとも思う(地方、と一概に言ってしまうのは主語が大きすぎるし、他の地方は知らないのでなんとも言えない)。人が集まる場所が限定されているからこそ、そこに人が集中する。

正直、僕は友人をご飯に誘うのが苦手である。ご飯にいきたい理由が特にないのにご飯に誘う連絡をするのが、連絡していいのかなとか思ってしまう。だから、街のどこかとか、居酒屋とかでばったり出会ったときに、「今度ご飯行こうよ」とか言って、約束を取り付けたいのである。

だが、逆に言えば、そんくらい偶然的に発生するイベントで維持される関係性をたくさん持っておきたい、という思いが強くあるように思う。その関係性を持つためのコツが、いかに身近にそういうゆるい知り合いを増やすかだと思う。

僕は東京に来てまだ半年くらい。

だから全然知り合いもいないし、東京にいる人にどれだけ声かけていいのか分からなかったりする。みなさん働いていて忙しそうだ。(僕も働いているが。)

そういうゆるいつながりを持っていない今はなかなかに辛いところもあるが、あと4年位経つと東京loverになっているのかもしれない。便利は便利やし。

「共」をつくっていきたいんだろう

社会のプレイヤーを因数分解したときに「公・共・私」の分け方がある。

僕は仕事や活動を通して、「共」をどうにかしていきたいと思っていることを思い出した。

「どうにかしたい」という抽象的な言葉だが、「共」に対する危機感のようなものがある。

影山氏が述べるように、自治会などの地縁組織が「機能不全」に陥っている。そこで「共」が失われてしまっている。じゃあ一体「共」が失われることで、僕たちの生活から何が失われるのかというと、(あまり勉強していないから主観でしかないが、)人との支え合いのようなものが欠け落ちてしまっていると思う。支え合いがなくなることで、人との関わりがなくなり、良い意味で気をかけあうことがなくなる。もちろん、ご近所付き合いが面倒だという人もいるし、僕もどちらかという面倒だなと思ってしまうこともある。

ただ、そこの人とのつながりの作り方は色々模索できるだろうと思う。別にご近所である必要はない。

影山氏はそれをクルミドコーヒーというカフェで表現しているのだが、大分市や別府市の方でも地域のつながりを生むためにカフェを運営していたり、イベントを開いている方々をたくさん見た。

そういったところから僕は、「共」を担うNPOを支援していきたいと思うようになったのだろう。NPOが事業を行うことで出てくるアウトプットだけでなく、その過程で生み出されるつながりも「共」の一角を担うものであると思う。(NPOといえども多種多様なので全てのNPOが過程で「共」を担うとは一概に思わないが。)

前述からも僕の性格的に、極端にいうと「他人とのゆるい関わりをたくさん持つことが幸せにつながる」と考えているぽい。なので、そういった生活を送れるように頑張るのと、NPOを支援することで、NPOの事業で救われる人が少しでも増えるといいなと思っている。

と良い感じでまとまりそうなのだが、実際は全然まとまっていない。自分がゆるいつながりを大事に思っていることは腹落ちするのだが、「共」をなぜどうにかしたいのか、そこの解像度がすごく低いのだ。

「共」とは?
なぜそこに関心を持った?
どんな社会であってほしいのか?

などなどもっともっと勉強し、思いと考えを深めていきたいと思った日曜日である。


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