前向きな私が選ぶ小説は、なぜか重い。

本屋の一角で、本に囲まれる世界に酔いしれ、気になるタイトルの本を開いて、2文くらいだけ読んで、閉じて、戻す。
文章を読むことが得意ではない私にとって、ここまでのプロセスは、お手軽に「賢い自分」になりきれる行動なのだ。

どちらかというと私は聞くよりかは話す方が好きで、「しゃべることにしか脳がない」というフレーズを、自分を謙遜する語彙のひとつとして、1年くらい前はよく使っていた。
しかし私はあいにくプライドが高く、承認欲求も持ち合わせているので、賢くみられる習慣であろう読書にはもれなく注目していた。

ただ、やはり長い文章は嫌いだ。
改行がたびたびされていないともっと嫌いだ。

そこで編み出されたのがこれである。
本の内容を読まないくせに、「少し難しそうな本に興味を持っている自分が賢い」という自惚れを抱くことで、些細な幸福感と優越感を得られるという、なんとも悪い方向にコスパがいい性格をしている私なのだ。

さて、じゃあこの「前向きな私が選ぶ本は、なぜか重い。」というタイトルに含まれた意味を話そうというところなのだが、実はこれに深い意味はない。このタイトルからやってきた人には大変申し訳ない。

私はおめでたい頭をしていて、小指をぶつけても、コーラを床にこぼしても、なんだかんだそんな自分の不運が面白くて爆笑している確率が高い。 まあ、よく言えば前向きだとかポジティブだとかそんなところなんだろうが、率直に言うと「なんとなくヘラヘラしてたい」に尽きる。

ヘラヘラしてたいのに賢いフリをしたいという、なんとも矛盾した欲望がある私。これは「アホなキャラでみんなに愛されているけれど、実は勉強がめちゃくちゃできる」というクラスに1人は絶対いるキャラに対する憧れから来ている。

ここ最近で読んだ小説は
「さよならドビュッシー」
「Aではない君と」
「i」
「朝が来る」

すべて「タイトルのことばが好き」
それだけの理由で選んできた。

ただ、偶然なのか、必然なのかはわからないが、全部内容が重い。暗い。警察は出てくるわ、火事が起きるわ、人は死ぬわで、読者に残酷な想像をさせるような本が多い。

正直暗い話を望んでいたわけではないし、どちらかというとコメディや感情描写がわかりやすいような明るめの話のほうがなんなら読みたい。

驚くほどダークな方向に破天荒で、サイコパスで、狂気に満ちたワンシーンが必ず入っている。私はホラー映画や流血表現のあるような作品は好みではないのだが...

と思いつつも、これらの小説がなぜ私の手元へやってきたのかという「運命」の考察をしてみようと思う。(一応言っておくが、占いは10パーセントくらいしか信じていないし、おみくじを引いても内容を忘れている。)

考察①:私がどうこの出来事をポジティブに変換することができるのかを試している

冒頭でも伝えた通り、私は前向きで、大体ヘラヘラしている。ただ、昔からこうだったわけではない。両親は離婚し、兄は自閉症で沢山喧嘩をしていた。幼少期は大人との方が仲が良かったせいか、保育園では仲間外れにされていた。それでも、お笑いが好きだったり、明るくて人気者の小学校時代の友人にあこがれを抱いていたので、ハリボテのポジティブを作りながら生活していた。

本来の私は完璧主義で、至らない自分が大嫌いという他人からしたら実に扱いにくく面倒な性格をしていた。そのため、ポジティブを演じている表側の自分とは裏腹に、自分のできない部分が認められずに落ち込んでいる日々だった。

まあそんな面倒な性格だった私なので、周りの人からは腫れ物を触るかのような扱いを受けていた。ただ、高校生になり、腫れ物に触るどころか、ガンガンに塩を塗ってくるような同級生に出会った。彼女の私のプライドも気にしないような物言いは、その瞬間では傷ついたのかもしれないが、「ダメな自分を認められる」第一歩に繋がり、もともとのハリボテだったポジティブが、鉄筋コンクリート造に進化しつつある。わけあって彼女とは縁を切ってしまったが、今ではとても感謝をしている。

....謎に自分の過去語りが始まってしまったが、そろそろ考察をするので許してほしい。

そんな過去を乗り越えてきた私に対して、自分の現実世界よりも重い経験を本で体験させ、「お前、この世界だったらどうするんだ?」と意地悪な魔王的な人に脳内から語りかけられているような気がする。きっと、今の鉄筋コンクリート造をもっと強固なものにしようとしてくれているのだろう。

考察②:感情に敏感になる訓練をしてほしい

失恋の方が売れやすいという噂があるが、そちらの方が共感されやすい、かつ悲しい・辛い経験の方が人間の心に残りやすいので、あながち間違いではない。

ハッピーエンドを見あさるよりも、悲劇を多く疑似体験して、人がどこで辛いかを知ることで、今後関わっていく人への共感力が身につくのではないかと思う。

出来事はすべて巡り合わせで、自分の選択によって得られた運命だと私は信じている。その運命の背景を考え、自分の将来に対してどうなってほしいか、どういう学びを得てほしいかという神の見えざる手から受け取ったメッセージを認識することで、自分の人生は変わっていくと思っている。


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