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「自閉症の兄は、兄ではなかった。」

はじめまして、こんにちは。はせぴです。
とある女子大に通う、大学3年生の21歳です。
よくTwitterに生息していて、ブライダル業界に関することをメインにつぶやいています。基本的にフォローはお返ししているので、気になった方は仲良くしていただければ幸いです。

私のTwitterに飛んでいただいた方はお気づきかもしれませんが、私は俗に言う「きょうだい児」です。自閉症を持った兄がいます。今年の元旦で25歳になりました。陣痛が紅白の大トリの小林幸子さんの時にやってきて、元旦の7時ぴったりに生まれるという、実は超ラッキーボーイなのです。

そんな縁起の良い生まれである私の兄は、言葉でほとんどコミュニケーションを取ることができません。話せる言葉は「はい」「たけぶー(食べる)」「いたい」「トイレ」くらい。あとなぜかトーマスの歌が歌えます。なので、私は1号車から6号車までのきかんしゃの名前を覚えてしまいました(笑)。

私が物心ついた時からそんなコミュニケーションに限られている存在ですから、いくら血縁上では兄でも、年齢的には年上ではあっても、世間一般でいう「お兄ちゃん」と言えるような存在ではありませんでした。
正直仕方ないことでありながらも、修学旅行のお土産を疲れて寝ている間に全部食べられてしまったり、おこづかいで買った雑誌をぼろぼろにされたり、友人が家に来るというのに、服を全部脱いでしまったり。妹である私が我慢する局面が多かったのです。

とはいえ、幸い兄が理由でいじめられてしまうということはありませんでした。授業参観や運動会に兄が来ても、特に私に対して何か言う人もおらず。友人なんかはよく横揺れする兄と一緒に横揺れしてくれたりと、外的環境において兄に苦労しませんでした。

なので、我慢する局面が多く兄に対してむかついてしまうことはたくさんあったのですが、兄の存在自体を嫌になることもなく。
そこまでニコニコはせずプライドが高い私に対して、兄はずっと笑顔で愛嬌がよく、憎めないキャラクターなのもあるのかもしれません。

中学校までは、そんな兄とそこそこ平穏に生活をしていましたが、1つの転機、自分の人生や人間としての在り方が大きく変わったポイントに差し掛かりました。そう、私は遡ること5年前、一時的に「ヤングケアラー」になったのです。

このヤングケアラーという言葉。最近巷では頭角を現しつつありますが、私がケアをしていたと言えるのは高校1年生の半年間くらいでしょうか。それまでは、専業主婦だった母がすべてをしてくれていました。私は母になんでもやってもらい、そして母の事は何も手伝いもせずに、ただやりたいことをするだけの本当によくない娘でした……。

母は病に伏してしまい、父は母と離婚。当時高校生だった私は、一人で母と兄を支えながら生きていく覚悟を決めました。それからは、学校からまっすぐ帰って制服姿で一人でスーパーで買い物。帰ってからは料理、洗濯、掃除をこなすという日々を過ごしました。兄がトイレを詰まらせたり、食べ物を食べ散らかしたり、部屋をすぐぐちゃぐちゃにしたり。それを学校から帰って一人で片付けるというのは、相当大変でした。

ここで私は、母が家族のために頑張ってきた15年間にやっと気が付くのでした。私が何も手伝わなくても、ずっと頑張ってきてくれていた母。学校での話をたくさん聞いてくれた母。いつでも味方でいてくれた母。私は母の大きな愛に包まれながら、育ったのだとようやくわかったのです。

母が今までしてきてくれていたことを、自分もできるようになろうと一生懸命になっていましたが、高校生が一人で二人を支えるというのには、身体的にも精神的にも限界がありました。私は高校に行くことができなくなってしまい、支えてくれる場所を探し求めました。チラシにあった悩み相談みたいなところへ電話をかけてみたり、役所に相談してみたり、とにかくどう動くべきなのかわからないまま、必死にもがきました。

そんな中で、私はひとつの壁にぶつかります。それは「未成年である」ということ。未成年であると、脱走した兄の警察の引き取りができなかったり、親を病院に入院させられなかったり、できることが限られているのです。
私はとにかく、一休みできる場所が欲しかった。自分の行動を代わりにしてくれる大人がいてほしかった。未成年という壁、高校生という壁がある故、行動の制限があったのです。

未成年だという理由で行動が起こせないやるせなさと、一人で生きていかなければならないという孤独感を感じた半年間でした。そこから時を経て、私は普通の大学生として生きていくことができています。母の病状も安定し、兄は父が手続きを進め、現在はグループホームに入居しています。当時のように、高校生ながらに一人で生きていく覚悟を決めて、精神的に苦しむこともなくなりました。

ただ、ふとこの時の自分を思い出すことがあります。それなりに自己肯定感が高い方だった自分が、精神的にどん底に突き落とされた瞬間。高校生だった自分が社会から断絶され、青春なんて言葉を考える余地もなかった半年間。終わりの見えない真っ暗なトンネルをずっと走り続けているような気持ちだったのを覚えています。

私は高校1年生だった頃のそんな自分を抱きしめてあげたいし、今の自分がそれなりに満足に過ごせている未来を信じてほしいなと思っています。「よく頑張って生きてきた、えらいね。」社会から断絶されていた私は、その一言で救われたのかもしれません。

後半兄の話ではなく、自分の苦労話になりました。すいません。
ヤングケアラーやきょうだい児という言葉を知ったのも大学生になってからで、知るまでは正直自分みたいな経験をしている人は類まれなのかと思っていました。が、意外とヤングケアラーに該当する人は存在しているし、きょうだい児の人も自分と似たような苦労を背負っている。

何が言いたいかというと、今も家族が理由で青春を味わえない学生、学生生活を捨てなければいけない未成年の子どもたちが存在しているということなのです。
未成年だから背負わなければならないもの、諦めなければならないものがあるのは、辛いことです。本来は守られるべき存在なのに、守る側に立っている現状を、どうにか外から変えられないでしょうか。

ひとりのきょうだい児、ひとりの元ヤングケアラーの自分からの願いです。

最後に。私は、兄も母も大好きです。
大好きだからこそ、自分の生き方に悩んでしまっていました。
どうか、今もヤングケアラーとして生きている人が、救われますように。

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