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焦げ目のような日々。

大谷さんと、たくさんお話しさせていただき、帰りにはBANBANBAN鮫島ともたくさん話した。素直に不器用にやってきた人のやり方が肯定される時代になってきたんだなと感じた。僕もそうだから、なんか嬉しかった。

↓このロンブーの淳さんとキングコング西野さんの対談の内容もうなずきしかなかった。共感。

この前、「長谷川さんは後輩とか後ろから来る人達のことを凄く考えているんですね」と言われた。勘違いしてほしくないのは、僕は別にこれからの人達の為にやっているわけではない。

年齢関係なく面白い人と出会って、面白いことをしたいだけ。

たまたま、最近は若者達が僕の考えに賛同して集まってくれる。大人にはあまり響かないのに不思議だ。僕の精神年齢が低いのか?笑

野望も夢もしっかり持ちつつ、現状維持にならないように常に破壊と挑戦。

少し前は、こんなブログ書いたら「思ってることとか考えとか芸人が書かないほうがいいよ」と言われたものだ。美徳は人それぞれなので別にいいが押しつけないでほしい。僕は、カッコつけずに、なんでも思ったことを嘘偽りなく伝えていくというのが一番、表現者として面白いと思っている。しかし、最近はこの考えも肯定される機会が増えてきた。以前は、イタいやつだと言われたり、もっと器用に生きた方がいいと言われたりした。

あとは、もっともっと努力して、ちゃんと結果を残して、未来の自分にこの文章を肯定してもらうしかない。


今日は、仲間の幸せな報告があり嬉しくなった。この「嬉しい」という感覚は面白くて、人間は本当に信頼した仲間の幸せにしか心の底から祝福はできないものだ。少しでも、なにか不信感や嫌悪感がある人間の幸せには上部だけの祝福しかできない。少し祝う気持ちが出てきても、嫉妬や見下した感情など様々なものが入り混じる。

素直に心の底から祝福の気持ちが湧き出たのは人生の中で数える程度しかない。

そんな仲間ができてきているというのは嬉しいことだ。昨日の日記に書いたが、人に壁を作ってしまう僕がこんな気持ちになれる仲間がいるというのは稀だ。

これからチャラデメンバーに幸せな報告があってもそういう気持ちになるのだろうし、今周りにいてくれる後輩やお世話になっている先輩もそう。少しずつ、ちゃんと信頼できる人達が周りに増えてきていて良かった。


寂しいというものはどこから来てどこへ行くのだろうか

今のことを僕はどれだけ覚えていられるのだろう

時間も物質も常に変化していて
気がついたら別のモノになっている

現在以外は虚像で、現在だけが現実

手のひらで一瞬だけ光ったなにかに適当に名前をつけた

その名前だけが残った




僕の主宰する演劇ユニットで、12ヶ月毎月公演をします。芸人がネタを一年たたいて賞レースを目指すように、一本の戯曲を様々な場所でやり強化してみるという企画です。12ヶ月追ってもらえると面白いと思います! 何卒!

そして、僕の運営するお笑いコンテンツ制作団体チャラデの1日三公演配信フェスもありますのでお時間ある方は是非!

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