ショート戯曲『かに鍋』
登場人物
・彼氏(27)
・彼女(25)
場所は小さなアパートの6畳一間の二人が同棲中の部屋。
部屋の中央には無印の小さな折り畳みテーブルがあり、卓上にはカセットコンロが置いてあり鍋を温めている。鍋の中には蟹が丸ごと入っている。
彼氏と彼女は対面に座っている。
鍋がぐつぐつと沸騰しだしたら彼氏が弱火にする。
二人鍋を見つめている。
少し間をおいて。
彼女「……蟹が安かったの?」
蟹から目線を逸らさずに彼氏に質問する。
彼氏はおたまで鍋をゆっくりと混ぜながら話す。
彼氏「いや……」
沈黙
彼女「……じゃあさ」
彼氏「なに?」
彼女「どうして大きな蟹が入っているわけ?」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼氏「台所の扉を開けて鍋を取り出そうとしたら、鍋の中で死んでたんだよ」
彼女「は?」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼女「意味わからないんだけど」
彼氏「まあ…そうなんだけど…」
彼女「え? どうしてウチに大きな蟹がいたわけ? 心当たりないわけ?」
彼氏「ないよ。心当たりなんて」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼氏「…あ」
彼女「なに?」
彼氏「もしかしたら、この前炊いたバルサンのせいかも」
彼女、彼氏を無言で睨む。
彼氏「…まあ、バルサンのせいだったとしても、まず大きな蟹はどこからやってきて、いつからいたんだって話だよな」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼女「怖いんだけど」
彼氏「まあね…」
彼女「得体のしれない蟹を食べようとする人。怖いんだけど」
彼氏「え?」
彼女「蟹がいたことよりも、何の迷いもなく食べようとしてるあなたが怖いんだけど」
彼氏「はあ? どうして? 蟹だぞ?」
彼女「普通食べないでしょ。部屋の中にいきなりニワトリがいたとして、それを食べようと思う?」
彼氏「食べるわけないだろ!」
彼女「でしょ? それと同じでしょ!」
彼氏「鶏肉はいつでも食えるけどさ、俺たち貧乏人はこんなことでもないと蟹は食えないだろ。蟹だぞ?」
彼女「言ってることヤバいよ」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼氏「…初めて食ったやつだってこんな感じだったはずだろ」
彼女「は?」
彼氏「世界で初めて蟹を食べた人間だって怖かったはずだろって!」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼女「もういいよ。私食べないから。勝手に食べれば」
彼氏は鍋から蟹を取り出しむさぼり食べる。
彼女「…美味しい?」
彼氏「そりゃあね。蟹だからね」
彼女「…少しちょうだい」
彼氏「…いいけど。取りなよ」
彼女「ありがと」
彼女も食べる。
彼女「うまっ…」
彼氏「だろ」
彼女「蟹食べたの何年ぶりだろ」
彼氏「俺も」
彼女「死ぬまでに何回かに食べれるかな?」
彼氏「どうだろ」
彼女「数えられるくらいかな」
彼氏「俺たち次第なんじゃない」
彼女「まあ、そうだろうけど」
沈黙 鍋のぐつぐつとした音が舞台上に響く。
彼女「あ」
彼氏「なに?」
彼女「この蟹ってさ、死んでたの?」
彼氏「死んでたよ。だってバルサン焚いて出てきたわけだから」
彼女口をおさえる。
彼氏「なに?」
彼女「だって、バルサン食べてるようなものでしょ? 絶対体に害あるじゃん!」
彼氏「確かに…」
彼女「最悪!」
彼氏「まあ、洗ってから茹でたし大丈夫でしょ」
彼女「……」
彼氏「死んだとしても最後の食事が蟹だったら本望じゃん」
彼女「バルサン蟹は嫌でしょ」
彼氏「まあね」
彼女「…」
彼氏「大丈夫だって。味も変じゃなかったし」
彼女「…」
ぐつぐつという音だけが部屋に鳴り響く。
湯気がバルサンの煙のように見える中徐々に暗転していき終演
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