高専から経済学部に進んだ医学部再受験生の自己紹介

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はじめに

 みなさんはじめまして、Twitterで細々と活動していた支倉(でじきゅー@医学部再受験用垢)と申します。
この度、なんかいい感じに答案用紙を埋めてたら医学部に合格しましたので、記憶の残滓が残っている間に体験記などを書こうとnoteをはじめてみました。決して登校日が延期になって暇になったから書いてみようなどという暇人の戯言ではございませんので、その点ご理解の程よろしくお願いいたします。
私は勉強中、集中力が切れてもうどうしようもなくなってしまったときなどには"たまに"再受験経験者のブログをチラ見して気を紛らわせていたので、同じように気を紛らわせてもらえればこれ以上の幸せはございません。
少々長いですが、どうぞよろしくお願いいたします。

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自己紹介(中学~)

 タイトルにも記しましたが私は20代中盤までは医学部受験とは無縁の文系の人間でした。文系出身なだけあって大学卒業後は作者の気持ちを考えることにさらなる磨きをかけていたわけですが、冒頭3行で作者の性癖まで分かるようになってきたあたりで医学部への道を考えるようになりました。

とまあ、それは冗談として私はテレビゲームが大好きで大好きでしょうがなく、高校受験一ヶ月前に差し迫り勉強をしろとうるさくなってきた親を封殺するために自分の部屋のドアに釘を打ち込んで、ストリートファイター4に打ち込んでいるような中学生でした。

部活の悪い先輩から「時代は工業高校」と刷り込まれ、工業高校と高等専門学校(高専)を受験することになります。奇跡の倍率1.1倍により塾からはE判定扱いされていた高専の情報系学科にまぐれで合格。晴れて就職率100%のエリート高専生となれたことに無知ゆえの誇りをもっていたのを覚えています。中学卒業前に高専のジャージを着て「このジャージ、着やすいんだよね」などと言ってこれみよがしに中学校へ行っていた記憶もあります。

高専入学後はプログラミングを学んでゲーム開発者になろうと夢焦がれていました。「頭がおかしくなっちゃうぐらい面白いゲームを作りたい…!」なんて思っちゃってましたが、C言語を学んで5時間ぐらいで飽き、部活強制だったので入ったプログラミング部で即行幽霊部員となり、オレンジのアウターを着てロードバイクで通学し、周りに先駆けてiPhone3GSを使い、結局裏でiPhoneと呼ばれながらスーパーの品出しアルバイトに精を出していました。

転機が起きたのは東日本大震災です。自宅でTwitterをしているときに猛烈な揺れに襲われ「揺れてるなうwwwwwwww」とつぶやいてたらもう本当に尋常じゃなく揺れてきて、ええ、初めて"死の恐怖"を感じたのです。電気が止まり、電話もネットも繋がらなくなり、状況が全くわからなかったので、とりあえず17時からのバイトに向かってみたらバイト先のスーパーがぺっちゃんこになっており仰天しました。当然バイトはしばらく中止になって暇な時期が4ヶ月ぐらい生じます。このときに、とあるサイトで「大卒と高卒の生涯年収の差を考えると大卒になるための勉強時間は時給何千円にも相当する」旨の文言を見てしまい、時給830円でバイトしていることがバカバカしくなり大学編入を考えるようになりました。

高専は5年制なので大学に進む人は大学の3年生に編入するのが一般的です。細かいことを言うと、進学する人の多くは大学の工学部や理学部、はたまた専攻科というところに進学します。(技科大なんかは高専生しか知らないのではないでしょうか)私はみんながPS3をやっているのにxbox360をやっていたり、みんながiPhoneを使い始めたらWindows Phoneを使い始めるような天邪鬼的気質を持っていたので、みんなが工学部に編入する中で経済学部に編入することにしました。実際のところ、高専から経済学部に編入する変な人はほぼおらず、私の高専では前例は5年ぐらい前に1人いたかもしれないけど、気のせいかもしれないというレベルでした。

ミクロ経済学もマクロ経済学も英語も小論文もなにもかもゼロから独学で対策をはじめることとなりました。しかし、意外となんとかなるものでTOEICはDUOと公式問題集を無心でやりまくったら1年で700ぐらいまで伸び、経済学検定という超マイナー検定では偏差値70までニョキニョキと伸びました。そんなこんなで某旧帝の経済学部に合格者順位2位で編入学することができました。これはもう鼻が高い。編入経験者が振り返ってみるとこれはまったくなにも大したことがないのは分かると思うので、一時的にでも鼻が高くなったのは今となっては少々恥ずかしい思い出ですが、当時は嬉しかったのです。すみません、今もちょっと嬉しいです。大目に見てください。

大学入学後の2年間は大変密度の濃い良い時間を過ごすことができました。いかに授業を切れるか、大学に行かずに済むか。今でもたまに単位が足りずに留年する夢を見るほどギリギリの生活を送っていました。隣に住んでいた中国人を買収して自室にカラオケを設置したり、プロジェクターを用いてアニメ鑑賞会を開催したり、中でも最も力を入れていたのはスプラトゥーンでした。陰キャじゃなければプロゲーマーを目指していたかもしれません。就活もそれなりに順調に進み、振り返ってみても大変満足度の高い2年間だったと思います。パラ経最高~⤴⤴

就職先は関西のゲーム会社でした。初の関西で憧れのゲーム会社、毎日が自転車に轢き殺されないかどうかの瀬戸際で(関西のとある地区の自転車マナーはヤバいと思いますよ)、内部のあれやこれといった情報を収集してはインターネットサーフィンに明け暮れていました。入社前に取らされた超難関資格、日商簿記3級の知識をフル動員して決算書と睨み合って爆睡したり、英語しか話せない会議に駆り出されて日本語を話していたり、大変充実した社会人生活を送らさせていただきました。(会社は総合職で入社して予算管理の部署にまわされました。)部署の先輩方は本当に素晴らしい方々ばかりで、いつかはこんな人になりたいと思うほど、たくさんのことを考える機会を下さり、なんやかんやあって私は医師になるべく20代中盤で医学部再受験を決意したのです。

 以上が私が医学部再受験を志すまでのざっくりとした適当な自己紹介です。コロナで登校日が延期になって暇になり書いたものなので、真面目さのかけらもない文章となってしまいましたが、筆者は実際のところ一見真面目で頼りがいのあるナイスガイですので仮想通貨でボロ儲けしたい人などは是非お声がけください。ちなみに私は仮想通貨で50万円吹っ飛ばしましたが、負けたなどとは微塵も思っておりません。
あと、最近インターネットを使い始めたチンパンジーのような人間はネットリテラシーがなく健全なネタを真に受けてボコボコに叩いてくる傾向がありますので、「コイツ世の中なめすぎだろ氏ね!」などと叩かれる前に補足しておくと、流石に天邪鬼だから経済学部などというヤバすぎる理由だけで経済学部に決めたわけでもなく、その度々凡人なりに色々と考えて判断しているのでどうかあしからず。冗談半分で受け止めてくださるとありがたいです。

 最後に趣味はゲームとアニメと野球観戦です。フットワークは軽い方で面白そうなことには首を突っ込むので仲良くしてくれると嬉しいです。

 次回は医学部再受験の勉強を開始してから合格するまでの体験記を書いてみようと思っていますので、叱咤激励のほどよろしくお願いいたします。

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