見出し画像

人生コラボレーション


突然だけど好きな曲を一曲紹介します。


『ケセラセラ』
(ケ・セラ・セラ/Que Sera, Sera)
ドリス・デイ(Doris Day)

この曲の中でドリスはこう歌い上げる

Que sera, sera
Whatever will be, will be
The future's not ours to see
Que sera, sera
What will be, will be

ケセラセラ
なるようになるわ
未来なんて私達にはわからないの
ケセラセラ
なるようになるわ

この曲は1956年のアカデミー歌曲賞を受賞した。

素敵な歌詞だ。

またこの優雅かつ軽やかなメロディーが
「よし、もうなるようにしかならないっ⤴️」
と言う気分にさせてくれる。

私事ではあるが
明日から部署異動である。

今までは飲食の現場でお客様を楽しませる為、またはその為の人財育成をサポートしてきた

今後は更に奥からの後方支援になる。

つまり現場を卒業する事になった。

あまり感傷的にはなりにくい体質なのだが
振り返れば18歳から育てて頂いた飲食の現場を卒業するのかと思うと

多少なりとも胸に迫るものが
なくも無いとは言えないような気がしないでもないが有りそうでは在る、のだ。

楽しかったり、また居心地が良かったりすると
無意識のうちに「この状態がずっと続く」かのような錯覚に陥る。

もしくは、意識的に「この状態がずっとは続かない事」から目を逸らしているのかもしれない

しかし世も人も諸行無常なのである。
水は絶えず流れ、雲は集まっては散り、
全てのことには始まりと終わりがある。

そしてそれは自然にとどまらず
人の縁や繋がりもまたそうなのだ。

家族、仲間、恋人、師弟、同僚
どんなに抗い執着しようと時は流れ形は変わる。

それはもうきっとアリストテレスよりもっともっと以前の哲学者

いや、名もなき市井の人々が感じ、語り継いで来ていることなのだ。

人は人に出会い、何かを生み出し紡ぎ
そして別れまた旅立つ。

人生はコラボレーションの連続だ。

友達も恋愛も結婚も会社も仕事も
当たり前だが人生の一部であり
「一時限的なコラボレーション」なのだ、
どんなに目を背けようとも。

寂しくとも名残惜しくとも
時間は進み、何処かにとどまる事は無い。

こうなれば自分にできる事は

ケセラセラ、なるようになるわ♪

の気の持ちようだ。

決して楽観的でもまた悲観的でもなく
「なるようにしかならない」は事実なのだ。

こらから起こる未来の出来事を知り得る人は未だ居ないし
縁も出会いもコントロールなんかできやしない、
自分の身体や感情のコントロールすらままならないのに。

人生はコラボレーションの連続、
一生懸命生き、後はなるようにしかならない。

ケセラセラ、さぁ楽しんでいこう。

またまた稚拙な長文にお付き合い頂き有難う御座います!

あなたに素敵な事が起こりますよーに🙏
それではご機嫌よ〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?