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インド瞑想記7:インドで得たものは?

 全日程を終えた日、サリーを着て瞑想仲間と記念写真を撮った。楽しかったけれど、もっと瞑想していたいという声がさかんに聞こえるなか、わたしは早く家に帰って体のすみずみまで洗い、愛猫のお腹に顔をうずめたいと思っていた。帰りも乗り継ぎのデリーで一泊し、生野菜と果物に飢えていたことに気づき、サラダをむしゃむしゃ、フルーツジュースをぐびぐび、サンドイッチとフライドポテトをむさぼるように食べた。

 帰国してひと月ほどは、とにかく疲れていた。ぼんやりしてしまい、誰とも会わず、寝るか海外ドラマを観るか、猫と遊んで過ごした。ようやく人と会えるようになり「インド、どうだった?」と聞かれるたび、「どうだったんだろう?」と考えている。海外からの参加者と親しくなることもなかったし、デヴィット・リンチはいなかったし、将来の伴侶も見つからず、テントには泊まれず、休息も静寂も得られず。シャワーのお湯が出る時間が限られていたりトイレットペーパーがなかったりすることには慣れたが、ひとりの時間がなかったことは、集団生活が苦手なうえひとり暮らし歴の長いわたしには、我慢はできても慣れることはできなかった。大規模なグループ瞑想会の目的だった世界平和も、最近のニュースに触れる限り、ずいぶん遠そうだ。

 先日、瞑想仲間と会う機会があった。テントとドミトリーの宿泊費の差額を返せとしつこく思っているのはわたしくらいで、みんなは「やりたかった仕事が入ってきた」とか「将来の目標が定まった」とか「自分軸ができた」とか、良い変化ばかり起きているようだ。

 わたしが行く前後ではっきり変わったことは、5kg痩せたこと。食事のおかげか過酷だったせいか、何をしても痩せなかった中年の体がひと回り細くなった。できればキープしたいが、おだやかな味付けの食事を2週間続けて機内食も辛くて食べられないほど繊細になった味覚が元に戻るにつれ、体重もじわじわ戻りつつある。

 瞑想は上手になった。テクニックである以上、量をこなすことで会得するものがあるのだろう。1年に1回くらいは、集中して瞑想する時間を持つのはいいかもしれない。それ以外、何かあるだろうか。期待したものは得られなかったが期待していなかったものを得ている可能性があるから、顕微鏡で観察するように拡大してみると、ほんの少し変化の兆しを感じた瞬間もあった。

 インドでは日中暑いので日傘を持ち歩いていたのだけれど、ある日、ドミトリーに忘れた。昼食時間に敷地内のスーパーに行きたかったのに、ちぇっ、と思いながら食堂のあたりをぶらぶらしていると、瞑想の先生がわたしの様子を心配してか、わざわざ会いに来てくれた。そのとき「あぁ、このために日傘を忘れたんだな」と思ったのだ。ちょっとヘマをしても、あとで辻褄が合うようにできているという安心感のようなもの。これが確信に変わったら、人生を無敵に歩んでいけるのではないだろうか。

 まぁ、人は、少なくともわたしは、この世界を見たいように見ている。だから、なんてことないささやかな偶然を肯定的に見ているだけで、すべては気のせいかもしれない。もっとはっきり「インドでわたしは無敵になった!」と思うような出来事が起きたら、また報告させてほしい。
(おわり)

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