【芝居の構造】

リーストラスバーグを礎にしてると言ったものの、構造に関しては様々な別の学問や人間や作品やらの影響を受け考察した物になります。

まず芝居をするのは稀に違う事もありますが殆どが人間の役であり、人間の構造とコミュニュケーションの構造が芝居の構造でもあると僕は考えます。

コミュニュケーションの構造は僕が思うに大きく分けて三つの段階があり、それを投げ合っていると思っています。

まずは何か物事を感じる、そして考える、踏まえて表現する。が基本だと思います。
突発的な事で考えるの領域が限りなくゼロになる事もありますが、基本的には
感じる→考える→表現する
そして受けた相手がまた感じる→考える→表現すると繰り返している事がコミュニュケーションだと思います。

朝、嫌いな上司とエレベーターで乗り合わせたとする。
感じた事は嫌だななどネガティブな感情だったとしても、それを直接は出さない。
相手は上司だし自分は大人だ、失礼の内容に挨拶をしておこう、と考え、社交性がある挨拶を表現する。
雑な例えではあり、各個人によって感じる事、考える事、表現する事に差はあれど、このような段階が日常の刹那に意識せずともあります。

それを芝居として表現する時も同じプロセスを踏む事が大事だと思います。
なるべく日常と同じように刹那て。

そして、各個人感じる、考える、表現するの得手、不得手があると思います。

自分は何が得意で何が不得意かを知る事も重要だと考えます。意識する事で補える幅は意外と広いです。
十段階でそれぞれ評価するのが丁度良いかと思います。
僕は最初三段階でしたが、少なく、五段階にしても少なく、十段階が丁度良かったです。
こちらに至っては各々のやりやすい段階評価がふさわしいと思います。
八段階くらいでも良いかもです。

そして役にもそれぞれ得手、不得手がなんとなく存在します。
役をやる時の最初に大雑把な人物像が思い浮かび、脳内で明確にしていく時になんとなく得手、不得手を振り分けてみます。
それを自分の得手、不得手と照らし合わせて差異があった場合は歩みよるのか、歩んで貰うのかを決めて役をする一つの指針としています。

最初になんとなくとする事が割と重要で意外と役が融通がきいてくれる事もあったりします。
こちらも意識的に幅はつけれるので、その範囲内で落とし所をつけます。

人間の構造に関しては難しいですが
僕が見る人間の構造は均衡を保とうとするのが人間の構造ではと考えます。

身体で言うと錐体路系運動と錐体外路系運動があり、歩く動作で言うと歩みを進める脚は錐体路系運動で、均衡を保つための腕の振りが錐体外路系運動となります。

よく芝居をした事がない人が芝居として歩くとぎこちなくなりますが、気持ちが追いついておらず、行動との均衡が取れてなく違和感が生じてしまいますが、
恐らく目的なく意識的に歩く事で錐体外路系運動の腕の振りを錐体路系運動としてしまう事にもあると思います。
これに至っては目的を持つ事で解消される事でもありますが、本来錐体外路系運動でするものを錐体路系運動でしてしまうと違和感を覚えます。
逆に動きに違和感を与えたい場合は錐体外路系運動を錐体路系運動に切り替えると違和感を与えられます。

役者にとって錐体外路系運動は厄介者で、緊張による強張りなども錐体外路系運動であり、感情が追いつかず自然に出るものではないと思いますが、自然に近づける事は可能ではあるとも思います。

心に置いても均衡を保つ傾向があり、感情が出るシーンなどは心の錐体外路系運動であるとも言えると思います。
怒ると言うのが一番分かりやすいのですが、何かしらの負荷がありそこから心が均衡を保とうとして鬱散しているのだと思います。

芝居としてもっと出して欲しいと要求があった時は出そうとするのではなく、その要因となる事柄を強める事でその分均衡を保つ為の働きも強くなると思います。

自分の持っている物を勝手に捨てられてしまい怒ると言うシーンでは
捨てようと思っていた物、お気に入りだった物、プレゼントされた物、親の形見などもしくは、誰に捨てられたなどの怒るに至る要因となる部分が役にとってどうだったかによって、怒り方が違ってくると思います。

大体以上の事を僕は基本的な芝居の構造として、そこから創り上げていってます。

かなり大雑把で分かり辛く申し訳ないですが、僕だけの秘伝のタレであり、何度も作り直したりして今に至っているので出し惜しみはしています。
すみません。

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長谷川大と申します。役者をしております。主に芝居だったりについて、自分なりの発見などを書いて行こうと思います。
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