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vol.46 冬至「モミの木」12/22~1/4

  カサッ、クシュッ、カサッカサッ、クシュッ。
カラッカラッに乾いた落ち葉を踏む音が耳に心地好い。親しくさせて頂いているご近所のKさんの森へ出かけた冬の日のこと。ケヤキや桜、朴木などの広葉樹はどれも葉を落とし、地面には枯葉が何層にも積み重なって、歩くごとにフカフカとした感覚も音と相まって気持ちがいい。意識とは関係のないところで身体が勝手に喜んでいるようだ。見上げれば背の高い木々の枝先が、細いペンでくっきりと線を描いたようによく見える。その背景には澄み切った青空。森の匂いや鳥の鳴き声、風の音に体をすっぽりまるごと包まれて、どこか違う時空に迷い込んだような気さえしてくる。
 三年ぶりにKさんの森に育つ、あの二本のモミの木に会いに行ってきた。手前に一本、そこからさらに奥へと進んでもう一本。どちらも幹が太く、大きく育ったその高さは数十メートルあるだろうか。艶々とした豊かな緑の葉に覆われて、森の中でもひときわ目立つ存在だ。
数年前、何がきっかけでその話になったのか。Kさんとのおしゃべりの中で、この二本のモミの木のことが話題にあがった。
「ウチにある二本のモミの木からね、樹液がダーッと溢れ出るように流れていて、そこに朝陽が当たってキラキラ輝いているのよ」
想像しただけでもおとぎ話のような風景が目に浮かぶ。
Kさんはお世話になっている方からある日こんなことを言われたそうなのだ。
「森にあるモミの木が助けて欲しいと言っているから枝をはらって、木の手入れをしてあげなさい」
Kさんのご主人が言われた通り、まずは手前のモミの木の枝をはらい、陽の光が当たるようにした数日後、木の様子を見に行くと樹液が流れ出ていたのだという。そして奥にあるもう一本も同様に手を入れると、やはり同じように樹液が溢れ出ているという。
そんな話を聞いては居ても立っても居られず、その場に居合わせた友人と夫も一緒に、話を伺った翌朝に早速、そのモミの木を見せて頂くことにした。
Kさんのご自宅の裏手にある森は、一歩足を踏み入れただけでなんとも言えない清々しい空気に包まれる。それまでワイワイとはしゃいでいた私たちも、何とはなしに黙って歩き始め、一本目のモミの木を目の前にしたときには、言葉にはならないため息のような感嘆の声しかでなかった。見上げた大きなモミの木の上の方から、まさに溢れ出るように半透明の樹液が流れ出ていて、話の通りその樹液には朝陽が当たり、銀色に見えるほどキラキラと輝いていたのだ。
「この間の方がもっとすごかったのよ」
と、Kさん。いやいやそれでも私たちが驚くには十分だった。
「きっとこれは嬉し涙だねぇ」「よかったねぇ」
などと、友人や夫と一緒になって、目の前にしている光景をそのまま素直に私たちは受け止めた。科学的にとかなんとか専門家の方が見たら何かしらの理由がわかるのかもしれないけれど、そんなことはどうでも良かった。「木が喜んでいる」何の疑いもなくそう思うことで、幸せな気持ちに十分満たされてしまったのだ。対になっている二本は、手前の木が女性のようで、奥にある木が男性のような雰囲気だなんてことも想像してみたりして。
二本のモミの木から樹液が溢れ出るようなことはあれ以来ないそうだが、三年ぶりに再会をしたモミの木はどちらも力強く生命力にあふれていて、それでいて穏やかさもあった。Kさんのご家族が手を入れ続けて、木も森も健やかに過ごしているからに違いない。
「あの姿、覚えてる?」とでも問いかけてくるように、よく見れば幹からわずかばかりの樹液が幾筋か見えた。そして足元には小さな芽がいくつもちょこんと顔をのぞかせて。
「覚えていますとも」「良かったねぇ」「また会いに来ますね」
私が木に向かって心の中で語りかけていると、それに応えるかのように森の奥で「ホウ、ホウ」とフクロウの鳴き声が聞こえて来た。そして雪虫が帰り道を案内するかのように、ふ~んわり、ふ~んわり舞い始めた。
不思議な夢の中のような話だけれど、なぜか三春の町にならそんなことがあってもおかしくはないと思わされる。雪虫が飛び始めたら雪の降る日もきっともうすぐそこ。そんなこともここでの暮らしで教わった。