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vol.2 凍み大根 雨水(2/19〜3/4)

  
 「凍みる」(しみる)という言葉を聞いて、すぐに「凍」の文字が頭に浮かぶようになったのは最近のこと。三春で暮らし始めて間もない頃は、「沁・染・浸・滲…」と次々漢字を頭の中で並べてみるものの、どうも違うと察しがつき、ようやく「凍」の文字に行き当たるといった具合。いつもワンテンポ遅れていた。
 凍みるというのは、厳しい寒さでものが凍りつくこと。そう教えてくれたのは、福島で出会った保存食だ。凍み豆腐に凍み餅。今では好物にもなっている凍み大根もそのひとつ。
 はじめて凍み大根を食べたのはいつ頃だったか。福島県昭和村にある「からむし織りの里」へ出かけた際に、食堂で食べた定食に添えられていた。一見、厚めの輪切りにした大根の煮物。きんぴらのように油で軽く炒めたものを甘辛く煮た一品だった。噛むと煮汁と大根の旨味がジュワッと口の中いっぱいに広がるが、食感は生の大根を使った煮物よりもずっとしっかりしていて、切り干し大根ともまた違う。決して派手さはない料理だけれど、その美味しさにひとり静かに感激し、帰りに食堂の方に「あれは何ですか?」と尋ねたほど。凍み大根というものが私の中に深く刻まれた。
 
 「三春の里 田園生活館」の産直コーナーで乾燥した凍み大根を見かけたときは内心小躍りした。販売される時期はその年の気候にもより、2月の終わり頃から3月の頭くらいと、ごくごく限られるようだけれど、家の近くで手に入るとは。さっそく自分なりの味付けで調理をしてみるが「ここ」という味のピントがまだ定まらない。戻し方にもコツがいるのだろう。大根にもよるし、干し具合によっても違ってくる。でもそうやってあれこれとその年、その年の味を重ねて、気づかないうちに自分の味というものが出来上がっていくのでしょう。まだまだこれから。
 好きなものはついつい続けて食べたくなってしまうもの。さてまた買い足そうと思う頃にはもう売り切れ。欲張りな食いしん坊は、翌年にはいよいよ自分で凍み大根を作ってみることにした。凍み大根の切り方は作る人によっていろいろだ。皮を剥いて太めの輪切りにする人もいれば、縦に4等分、もしくは6等分の串状に切る人もいる。どちらも切った大根に紐を通すための穴を開け、干し柿のように軒下に吊るす。その際も切ってそのまま干す人、水に晒してから干す人もいる。私がご近所の方に教えてもらった方法は、一度茹でこぼした大根を一晩流水に晒してから干すというもの。そうすることで白くきれいに仕上がり、保存していても黒ずむことが少ないのだそう。でも何よりも大事なのはしっかりと凍みさせること。できれば氷点下が続く日に干し始めるのがいいらしい。そうなってくると作業は天気予報とにらめっこ。厳しい寒さと乾いた空気を見極めるのが、美味しく仕上げるための何よりのコツということだ。
 私は輪切りにした大根に穴は開けずに、茹でこぼしてから水に晒し、ホームセンターで購入した、乾物を作るためのネットに並べて干すことにした。もっとたくさんの量を干すには、やはり穴を開けて紐を通すのが一番だが、ビギナーは少量からまずは実験。その作業だけでもワクワクする。
 初めて干したその日の晩は、ちょうど氷点下まで気温が下がった。翌朝にはさっそく凍みた大根が陽に照らされキラキラと輝いて、それが積もりたての雪のようで見惚れてしまった。それまではカラリと乾燥しきった姿しか見たことがなかったからなおさらのこと。
 凍みて、溶けて乾燥してを繰り返し、ゆっくりじっくり冷たい空気に晒されて一ヶ月くらいカラカラになるまで干せば出来上がり。私の作業は大根を切って干すというだけで、手間というほどのものでもなく、ただただ厳しい寒さが美味しさを育ててくれる、まさに自然の恵みそのものの力なのだ。

 
 in-kyoにいらしたお客様と以前に凍み大根の話になったことがあった。

「凍み大根は寒い時期に、
あぁ。早く春が来ないかなぁって思いながら食べるの。
だから凍み大根を食べてからでないと春がやって来た感じがしないのよ」

 旬というものともまた違う。冬と春のはざま。それだけ春を待ち遠しく思いながら食べるという心持ちは、なんて豊かなのだろう。春を待ちわびる食。冬が長い北の地で暮らすからこそ、知ることのできる味わいがあるのかと忘れられない会話となっている。
 また凍み大根に限ったことではないけれど、大好きなある料理人の方との会話の中で、東北の冬の保存食のことを「家族への愛の歴史」という言葉で表現されていた。昔は今のように流通が発達していなかったし、東北の厳しい冬の間の食材は限られたものしかなかった。それでもそのあるものの中でいかに美味しく、家族のお腹と心を満たすことができるかを考え、工夫を凝らして生まれたものが今に受け継がれているのだと。
 「凍みる」は凍りついてしまうだけではなく、雪解けのようにどこかあたたかく、じんわりと心にも沁みていくという意味も含まれているのかもしれない。

*次回は啓蟄の始まり3/5(木)にUP予定