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vol.23「だるま市」小寒 1/5〜1/19


 三春町では毎年小正月が過ぎた頃に「三春だるま市」が行われる。これは江戸中期頃からおよそ300年続く歴史のある新春の恒例行事となっている。三春だるまや白河だるま、町のあちこちで見かける三春駒に、縁起物や干支の張り子人形を売る露店。それらを中心に焼きそばや大判焼きなど飲食の露店が通りにずらりと並ぶ。その他にも新春らしいひょっとこ踊りや三春太鼓が披露されたり、その年を象徴する希望の一文字のお披露目もあり、町内だけではなく県外からも多くの人が訪れて華やいだ一日となる。
 三春でだるまといえば、初めから両目に黒目が入り、グッと凄むような力強い眉毛をした赤ら顔の三春だるまのことを指す。形も丸というよりは縦に細長いのが特徴だ。それまで黒目が入っていない、ずんぐりむっくりの丸い姿をしたものがだるまだと思っていたから初めて見たときにはちょっとしたカルチャーショックを受けた。
 幼い頃は、神棚を見上げれば大きなだるまがいつもでーんと鎮座していた。毎年新調される存在感たっぷりのだるまは、片目でこちらをギロリと睨んでいるようでどうにも苦手だった。それが三春だるまに親しみがわいたからなのか、今では苦手意識がすっかりなくなっている。
 
 だるま市の露店の多くは三春町のお隣り、西田町高柴(旧三春藩内)にある「高柴デコ屋敷」という郷土民芸品を作る工人集落から出店されている。ちなみに「デコ」とは木彫りの人形、木偶(でく・でこ)が由来の言葉で、集落の名前がデコ屋敷と呼ばれるようになったそうだ。
 現在四軒あるうちの一軒で張り子人形を作る工人、橋本広司民芸十七代目の橋本広司(はしもとひろじ)さんのところを度々訪れるようになったのは、東京から福島へ移住すことを決めた頃に夫に連れて行ってもらったことがきっかけだった。橋本広司民芸を訪ねると、だるまや干支、歌舞伎や舞踊を題材にした数々の張り子人形を見ることができる。また「高柴七福神踊り」に使われる七福神のお面や、ひょっとこやおかめのお面の張り子も並ぶ。そしてそこでは常に黙々と張り子人形を作る作業が行われているのだ。作業を見学させて頂いている合間にポツリポツリと静かに交わされる広司さんとの会話。その話に毎度のように感銘を受けていた。

「高柴七福神踊りは神様の踊りだけど、ひょっとことおかめは身分の低い庶民の踊りなんだよ。神様は天から地上を見下ろして、ひょっとこは一番低いところから天を見上げてる。低いところからはあとは上を見上げるだけ。踊っている時は俺が踊っているんじゃなくてよ、先祖代々のご先祖様たちが俺を踊らせてくれてる。だから上手くやろうなんて思わないでダメな自分になって、お面を被って自分というものを無くせば何でもできんだよ」

そう言って、それまではニコニコしながら静かに語っていた広司さんが、お面を被った途端に何かが憑依したかのようにひょっとこ踊りを踊って下さるのだった。これには毎回呆気に取られるのだけれど、まさに無我の境地。言葉の通り、目に見えない力のようなものに突き動かされているその踊りには、理屈抜きに惹きつけられてしまうのだ。

「張り子を作るのも一緒で、俺が作ってるんじゃない。ご先祖様が作らせてくれてんだ。それでもまだまだ手元に残しておきたいなぁと思えるものはできてないから毎日手を動かして作ってんだ」

 これまでに広司さんが作った張り子の数はご本人も把握しきれないほどの数だろう。それでもそんな言葉がさらりと出てくるとは。単純に作った数がどうのという話ではないかもしれないけれど、積み重ねられたものと言葉の重みに思いを巡らしため息が出る。
 そんな広司さんが子供の頃、デコ屋敷を訪れた民藝運動の重鎮たちから、張り子人形は「心の用を満たすもの」と言われたそうだ。家業だからと幼い頃からごくごく当たり前のように作業を手伝っていた当時の広司さんにとって、この言葉は大きな支えになったと伺った。
 
 だるま市当日は、日に何度か「ひょっとこ祝い踊り」が披露される。広司さんの他にも保存会の皆さんが参加して、冬空に映える派手な衣装を身につけ、おめでたい踊りが繰り広げられる。見物の人たちの笑い声や歓声、拍手。ここにあるもの、人の手だけで作られた新春の娯楽の景色は、今も江戸の昔もそれほど変わりはないのでしょう。
 だるまや干支人形を、どの露天で選ぶのかは皆さんお好みで、それぞれご贔屓がある。毎年そのことを楽しみに遠方から三春へ訪れている方もいらっしゃるほど。新しくしただるまを抱えた人たちが、ニコニコと笑顔で道行く様子を眺めているだけで、寒さの中にも春の光を思わせるような多幸感に包まれる。
 私は毎年橋本広司民芸の露天を覗いている。広司さんが作る張り子人形は、どれもほのぼのとした表情をしていて、だるまも見開いた目の奥にやさしさがある。手のひらに乗る背丈5センチほどのだるまは、首を少し傾けているかのように、あっちを向いたりこっちを向いている子もいたり。ひとつひとつ丁寧に作られているのに、整えすぎないゴツゴツとした手跡が感じられる張り子にホッとする。と同時につい笑ってしまう。いくつも並ぶ中から目があった干支張り子を選ぶ。こうしてまたひとつ、心の用を満たすものが我が家にやって来る。