見出し画像

夏休み

8月9日 最高気温32℃ 最低気温23℃

昨日からin-kyoは夏季休業に入っている。
何があるというのでもなく、むしろお店が休みの間は用事があれこれと入ったり、やることが山積みだったりと、普段とは違う忙しさで案外と慌ただしい。なのに夏休み前日は気づくと鼻歌を歌っていた。いくつになっても「夏休み」という響きだけでどこか心躍るものがあるのかもしれない。まぁいいでしょう。単純なのも悪くない。

美容室へ髪を切りに行く。夫君の車で向かう途中、突然の強い雨。と思ったらパーッと雲の合間から青空が広がって、また真夏の太陽が顔をのぞかせる。今年は空の様子が忙しない。そして入道雲を目にする日が多い気がする。夏休みの象徴みたいな青と白のコントラスト。絵日記を書くならこの空を描くだろうという景色。

「夏休みだ!」などと健康な今だから浮かれもしているが、小学校低学年までは身体が弱く、夏休み中に熱を出し、寝込むこともしばしば。出かけるとなればすぐにのりもの酔いをするものだから、車や電車での遠出は心が躍るどころか、移動のことを考えると気が重かったのだ。
実家は自営業を営んでいて、お盆の3日間以外は長期の休みもなかったら、両親と兄との4人家族で旅行に出かける機会がほぼなかった。そんなことものりものに弱い原因だったのではないかと思っている。家族旅行など私が覚えているかいないかの幼い頃、アルバムがあるから「そういえば」となるけれど、記憶は曖昧だ。4人での家族旅行は千葉の勝浦方面の海へ出かけたのが最後だっただろうか。その後の夏休みの旅行には父は仕事で不在となり、母と兄との3人になった。それもほんの数回。その頃も電車に乗って30分も経たないうちに具合が悪くなる始末。今だったら同じ時間があれば、電車の心地よい揺れであっという間にウトウトとしてしまうというのに。3人での最後の旅行でなんとなく覚えているのは、行川アイランドという施設でフラミンゴを見たこと。そこのレストランで大きなエビフライを食べたこと。なんなんだ、断片的なこの二つの記憶は。楽しかったのか、きれいと思ったのか、美味しかったかどうか当時どう思ったのかはわからないまるで夢のような夏の欠片の思い出。

その後ものりもの酔いは後を引き、小学校の修学旅行まで続いたが、いつの間にか解消されて大人になるにつれて旅に出ることが好きになっていた。
お店などやるまいなどと、10代の頃から思っていたのに気づけば私も父と同じく自営業。それでも休みもしっかりとるし、旅へも出る。日常から少し離れてみることで気づくこともたくさんある。どちらが良い悪いということではなくて、視界が広がるかそのままかというだけのことなのだけれど。のりもの酔いもしなくなり、旅の記憶がフラミンゴとエビフライということもない。夏休みという言葉に浮かれながらも、少しは大人になったのだろうか。