見出し画像

できるはずなのにと言う人

僕にとって音楽は仕事じゃないから集まったメンバーで楽しくやれればいいと思っていますが、人前で演奏することになるならアマと言えどもステージを任される責任感を伴うと思っています。

グダグダでもいいんですけどね。でも、大体の人はこう言うんです。「たくさんの人に聞いてもらって、自分達の音楽を知ってもらいたい」と。

そんな気持ちを聞いたなら、まあまあ本気なのかな?って思いつつ、でも、
「それなりの演奏を目指すなら楽しいことばかりじゃないし、その練習の中で自分は君にとって気持ち良くない言葉や要求を投げつけるかもしれない。きっと悔しい思いをしたり、楽しくないなって思うことが出てくると思うけど、それでも大丈夫?」
と確認する。

大抵の場合はそんな確認をされたって気持ちが上がっているから「大丈夫、やれるよ!」って返事が返って来る。よーし、それなら、しっかりやりましょう!ということで始めるんだけど・・

いざ始まると、ああやっぱりと思ってしまうことが多い。
「最近忙しくて・・」
「楽器が言うことを聞かなくて・・」
「頭ではわかってるからできるはずなんだけど、音に反映できなくて・・」
うんうん、そうだね、大変だね?でもそういうことをトータルして「頑張る!」って言ったはずだし。
そもそも、そういう理由以前の、音楽やリズムの感じ方の研究が全然弱いことが多い。
頭ではわかってるっていうことは、自分がどんな音楽をやりたいかイメージができているということだけど、実際音を合わせた時にそのヴィジョンが伝わってこないことがほとんど。
練習が捗っていなくて自分の思い通りに弾けないなら、もっと悔しがったり焦った様子を見せるはずだし、粗削りでもこうしたい!という姿勢が音に乗ってくるはず。でもそれが出てこないから、「じゃあ試しにこうしてみてよ」と言ってみても、そんな難しいことできない。自分のイメージと違う。そんなフレーズのオンパレード。じゃあできるようになるまで、あなたの音楽が前に出てくるまで待たせていただきましょうか?
そんな無意味な祈りをまた1つしてしまうのです。

僕もね、学生時代に練習がほとんどできないままレッスンに行ったことが何度もあります。その時に先生に言われたのは、
「練習ができていないことよりも、それを理由にこの場で手を抜いてなんとかやり過ごそうとしている姿勢がいけない」
ということ。
驚いたと同時に、逃げ場のない完全な論理にあぁ、見透かされている!と恐怖さえ感じました。

だから、成り行き上、自分が引っ張っていかないといけない時に、メンバーが手を抜いている様子が見えたら、とにかく今いるこの場でできることを頑張ろうよ!と叱咤するのですが・・なかなか人の気持ちを鼓舞するのは難しい。やる気ってなんだろう?

音楽に限らず、どこで何をやっても、色々思うことがあったり、腑に落ちないことがあったりするかもしれません。でも、せっかくその場にいて、そこにいる人と時間を共有するのだから、少しでも糧になるような一生懸命さを発揮することをぜひオススメしたいと思います。

では、また明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?