見出し画像

真似る

何か上手くなりたいことがあったら、上手な人のやり方を真似てみるのが1つの方法です。

人が作り上げたものを真似るって、随分楽じゃね?ずるくね?と思う方がいるかもしれないけれど、実際真似るって難しい。

例えば、好きな音楽家の演奏を真似ようって思ったら、音の早さとか強弱だけじゃなくて、音色とかフレージングの緩急だとか、その他諸々、細かい色々についてよく聴き、観察し、その音がどうやって出されているのか、その人の癖まで含め、読み取らなければいけません。

そして、いざ、こういう風にやれば似せられるかな?と思っても、実際に同じような音を出すには、真似たい人のレベルで音楽を感じられるようにならないといけないし、同じような音を出すための技術も必要になるわけで。自分を憧れの人に重ねて、なんとなく弾くだけでは似せたことにはならないのです(なんとなくが楽しくて、それで終わってもいいくらいのモチベーションならそれはそれでいいと思いますが)。

だからよく言う完コピとかする人ってすごいとしか思えません。6~7割くらいの似てるならできる人は多いかもしれません。でも、それを9割、9割5分以上、もっとそれ以上まで上げられる人は達人級。きっと似せることをしなくても、十分自分の音楽を成り立たせられる人だと思います(でも似せる作業は学ぶ上でとても大事なことです)。

ちなみに僕はなんとなくの方だから、なかなか音楽的なコピーはできません。ていうか、しません。憎たらしい人の口真似とかは得意なんですけどね笑

==========
音楽とは話題が変わりますが、僕はこうやって毎日文章を書いているおかげで、他の方の文章に目を通す機会も以前より多くなっています。その人ならではの言葉遣いや調子があって、面白いなぁと思うのですが、たまに気になるというか、残念だなと思う人がいます。

それは、誰かが使っている言葉や表現を、意味がわからないままただ真似ている(パクっている)のを見たときです。

面白いと思うもの、いいなと思うものを自分も使ってみたい!と思うのは自然な感情だし、僕もうまいなぁと思った人の表現を真似ることはあります。でもそれはちゃんとその意味をわかった物だけで、いたずらに使っているわけではありません。
例えば、その言葉の主はふざけたりくだけたりする文章で使っているのに、そのままの字面で真面目な文章に組み入れてる様を見ると、あぁ、この人は物事を表面でしか見られないんだな、と思ってしまいます。ひょっとしたら読む人を馬鹿にでもする意図があるのかな、なんて勘繰ってしまうこともあります。

言語を同じにすることで親近感がわくということもありますが、上記のようなパターンはきっと、真似される主からはこの人は何がしたいんだろうと思われているはず。実際僕も表現をパクられたなと思われる書き込みを見て、この人言葉と全然違うことを他のところで書きまくってるのになぁなんて、残念に思いました。言葉のニュアンスをねじ曲げていることに自分で気付けない教養の低さはその人が気の毒というよりも、周りにも良い影響を与えないよね。ここを読んでくれている方にも、もし思い当たる節があれば、これを機会に気を付けましょう。

てことで、技を盗むのは必要だけど、それをさも自分のオリジナルのように振る舞うならば、責任を持って使わなければと思っているということを言いたかったのでした。

では、また明日!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?