材料と素材を使い分けよう
幼児と自然の中で遊んでいると、子供たちはよく木の枝を拾って振り回す。また、草花を摘んだり、石を拾ってはポケットに入れる。
その遊びが危ないか危なくないかは、子供達が持っている危機管理能力や先生の場をコントロールする力によって大きく左右するのでそれはおいておいて、ポイントは、自然物を使って子供達は楽しそうに遊んでいること。
ここで個人的に気になるのは
・鉄棒や登り棒は飽きるのに、木で遊ぶのは永遠に続くのか?
・折り紙は「できない」という子がいるのに、なぜ葉っぱで折り紙は皆ネガ
ティブが出ずにやるのか?
・お絵かきは嫌いな子がいるのに、なぜ落書きは好きな子が多いのか?
まだまだありますが、ここが僕の学びのポイントでした。
遊び込みという幅
材料と素材とは何かを考えるときのヒントになる考え方のひとつが「遊び込みができるか?」「遊び込みができないか?」だろう。言い換えれば、「発展性があるか?」「発展性が無いか?」とも考えられる。
つまり、遊ぶ物に対して、単一的な遊びの方法しか見えない物、またできるできないの二択で判断できてしまうものに関しては、魅力が少ないのではないだろうか?もちろんはじめはどんな遊びも面白い。でもその先が大切で、遊び込みの可能性を秘めているものの方が魅力を感じると思う。
また、その魅力の元として、材料と素材の使い分けが重要となるだろう。
材料と素材
そこで大切なのが、「材料」と「素材」です。室内外を問わず、なにかを作る、何かで遊ぶときに大人が提供するものは、「材料」と「素材」どちらをいま提供しているのかを認識する必要があります。
材料
材料は「何かを作る、行ううえで必要なもの」だとすると、材料を使う際にはまず「目的」や「目標」がそこには存在する。例えば、つるを折るための折り紙は、つるを折るという目的のために使われる物となる。
製材された板も、「テーブルを作る」という課題のもと配られることによってこれは材料という存在になる。
決められた事柄に使う物に関しては、材料になるわけです。材料の良さは、そこには完成品が同じになることで、それによって「数値評価」がしやすいことであり、また、参加者全員にゴールがあるため、一定の達成感が得られることにあると思う。
素材
素材は、ある種存在しているそれらの使用目的が決まっていないことが素材として存在する価値になる。例えば、じゃがいも、にんじん、タマネギ、豚肉が目の前にあって、「カレーをつくろう!」となればそれは材料となり、「何かつくろう!」となれば、素材に変わる。
折り紙も、ただ使っても良い物として置いてあると、何かを折っても、切っても、投げても、丸めても良くなるので素材に変わる。
つまり、どのようにでもなれるけど、自分の好きなようになるとは限らないものという感じでしょうか。素材を使って何かをすることに対して、昨今では「数値評価」をするのは難しい。むしろ評価してしまっては行けない領域になるようにも思う。求められる能力は、今まで体得した技術や知識をフル活用して自分がやりたいことに変換していくこと。
自然物
自然物はどちらになるのだろうか?基本的には他の物と同様に「材料」にも「素材」にも、どちらにでもなれる。ただし、全く同じものが無いのが自然物の面白い所で、目的があっても常に思い通りにならない事が多く、素材的扱いと思考が必要になってくる。
自然物は、素材を限定しない限りどこでも簡単に手に入って、いつでも遊べる物として目の前に存在しています。よっぽどで無い限り無料というのもありがたい。
とある時間を「材料」を使って行うにしても「素材」という扱い方を入れる事で、人のクリエイティブな力は育ち、またそれが楽しい方向に進んでくれる事が多い(時に人はそれを脱線という)。僕はクラス運営をする際に、材料と素材という考え方を、物にも、人にも、事にも当てはめて考えることで対象者も自分も学びが多い時間になるようなデザインを心がけています。
遊びのヒントはこちらにたくさん書かせていただきました。