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【劇評226】イキウメの新作『外の道』は、あまたの視線によって歪む現実を映していた。

 私たちは、人々の視線にさらされている。

 イキウメ一年半ぶりの新作『外の道』(作・演出 前川知大)は、衆人環視のもとで生きることになった私たちの現実を映している。

 まるで幽界のようなしつらえのカフェからはじまる。下手からは、西日が深くさしこんでいる。九人の男女がそれぞれこの部屋に入り込んできて、椅子に座る。

 かつて同級生だった宅配便運転手寺泊満(安井順平)と司法書士補助の山鳥芽衣(池谷のぶえ)は、生まれ育った町から遙かに離れたこの地で、二十数年ぶりに再会を果たす。はじめは、表面的に近況を話すが、やがて寺泊がこの町にある喫茶店での出来事を打ち明けるところから、話は非日常の世界に横滑りしていく。

 その喫茶店は、マスター時枝悟(森下創)のマジックが売り物なのだが、ビールのガラス片を透過させるのだという。寺泊は、政治家のパーティで、原因不明の死亡事故に立ち会った。政治家は急に倒れたが、その頭蓋骨のなかに入っていたガラス片が、死因だと寺泊は疑い始める。

 この最初のエピソードは、寺泊と山鳥のふたりの間で、テーブル越しに話されるけれども、同じ空間にいる残りの男女は、黙ったまま、ふたりに目を向けて離さない。
 口を挟むこともなければ、格別の反応を示すわけではないが、私たち観客と同様、集中してこの奇っ怪は話に集中しているとわかる。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。