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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その1 勘三郎と三津五郎の思い出

 かつて、十代目坂東三津五郎と定期的に会う機会があった。単行本の取材のためである。
 話は歌舞伎のさまざまな分野に及んだけれど、彼は繰り返し、
「その座にいる人間がどれだけ助け合って盛り上げていくかが、とにかく大事だ」
 と語っていた。

 芯になる役者が自分の出し物を出す。役者の個人史のなかで、その役を位置付けようとする。それは当然のことではあるけれども、一ヶ月の興行は、芯に立つ役者本位で、出し物をただ並べただけでは成り立たない。

「ちょっと、と思うような役でも付き合わなければいけないと思います」
 三津五郎は、「ちょっと」という表現を使った。役者として年輪を重ねれば重ねるほど、この当たり前のことがなかなかできないのを認めた上での発言だと思う。率直な人だと思った。

 勘三郎からも、同じ時期に、まったく同じことばを聞いた。勘三郎は「ちょっと」とは、いわなかったが。

 もちろん、これは偶然の産物ではない。八月の納涼歌舞伎を勘三郎と三津五郎が担って行くに当たって、決して忘れまいとしてきた約束だったとわかる。
 上演記録を見渡してみると、この約束が律儀に守られていたことに驚く。時間の重さを思う。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。