【劇評302】パワフルで大胆な群衆劇として松本祐子演出の『地獄のオルフェイス』が黄泉の国から甦った。
生きることに貪欲がゆえに、地獄から抜け出せぬ人間を観た。
テネシー・ウィリアムズ作、広田敦郎訳の『地獄のオルフェウス』(文学座アトリエ)は、松本祐子の演出を得て、パワフルで、破壊的で、しかも狂気にあふれた劇に生まれかわった。
文学座アトリエの上演史のなかでも、歴史に刻まれるだろう。それだけの力に満ちあふれている。
これまでの上演とは、大きく変わった解釈・演出が五つある。
まず、功成り名をとげた大女優と、若くて色気にあふれた男優の恋愛沙汰を見せる芝居に終わっていない。
劇の冒頭、アメリカ南部の服地雑貨店に集まる猥雑な人々を丁寧に描いている。ビューラ(金沢映美)とドリー(頼経明子)、ピーウィー(鈴木弘秋)とドック(木津誠之)が創り出す言葉の洪水は、この町の悪意を体現している。
退屈な町では、ジェイヴ(高橋ひろし)の退院と上手くいかなかった手術さえもが、極上にして垂涎の噂話になっている。
群衆のつくりだすエネルギー
劇の冒頭が、単なる状況説明に終わらず、どす黒い暗雲にこの町と人間が覆われていると語っている。
なかでも金沢と頼経の速射砲のようなしゃべくりは破壊的で、この町にいられなくなった行跡の悪いキャロル(下池沙知)が登場したときに、最高潮に達する。
『地獄のオルフェウス』が、まぎれもなく俗悪な市民を描いた群衆劇でもあるとよくわかった。
第二に、かつて父が経営していた果樹園が焼き討ちになって、この店を経営するジェイヴに「売られて」きたレイディ(名越志保)と、蛇皮の服を着て、ギターを片手に旅を続ける男ヴァル(小谷俊輔)最初の出会いがとりわけすぐれている。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。