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熱狂させる力 亀治郎の会の十年 

 四代目猿之助が自費を投じて、長年続けていた「亀治郎の会」は、この歌舞伎役者の意欲と方向性を読み取ることが出来ました。本来、猿之助は、こんな役者へと進んで行きたかったのだとよくわかります。雑誌『演劇界』の求に応じて書いた原稿を掲載します。
        

 平成十四年八月二日、第一回亀治郎の会が、京都芸術劇場春秋座で幕を開けた。演目は、『摂州合邦辻』と『春興鏡獅子』。玉手御前と小姓弥生後に獅子の精という意欲的な演目であった。
 それから十年、その歩みを辿ると、亀治郎いや四代目猿之助が、いかにその年その年の自らを見つめ、その上で企画を立ち上げ、現在につなげてきたかがわかる。

 ある結果がもたらされたとき、人はそれを必然であったように感じる。けれど、その過程では血の滲むような決断を重ねなければならない。

 第二回は、『藤娘』『猩々』『隅田川』。第三回は、『一條大蔵譚』『鷺娘』。国立小劇場に場を移しての第四回では『神霊矢口渡』『船弁慶』。こうして演目を見ていくと、さほど沢潟屋の狂言にはこだわってはいない。むしろ、歌舞伎を代表する女形の大きな役を、舞踊を含めて手がけていこうとする強い意志が感じられる。

 私が京都で観たのは第二回にすぎないが、『一條大蔵譚』は、当時存命だった又五郎に指導を仰いだと聞く。「檜垣茶屋」を上演せず、「曲舞」から「奥殿」へと運ぶ。「曲舞」も新たに振り付けたもので意欲的な舞台だった。また『鷺娘』は、全力で女性の苦悩を叩きつける舞台で、降りしきる雪を一身に受け、身悶えする姿が今も眼に残っている。

 第五回の『奥州安達原』では、袖萩と貞任に二役を替り、『天下る傾城』では三世歌右衛門の初演以来の復活舞踊である。第六回は国立の大劇場へ場を移しての『俊寛』と創案にあふれた『京鹿子娘道成寺』は、堂々の大舞台であった。

 さらに、第七回は小劇場へ戻って、『お夏狂乱』『身替座禅』。そして当日お楽しみとして発表されたのが『忍夜恋曲者・将門』であった。六代目梅幸への意識がうかがわれる狂言立てとなった。

 第八回以降は、大劇場となる。
 『義経千本桜』の「吉野山」と「川連法眼館」を沢潟屋の型で演じ、六代目菊五郎、初代吉右衛門が初演した「上州土産百両首」もまた充実した舞台であった。その後、『四の切』は昨年五月明治座で、さらに今年六月の猿之助襲名披露でも演じられた。

 『ヤマトタケル』『黒塚』とともに、沢潟屋の正嫡であることを示す演目の本興行での上演につながっている。また昨年の、第九回は、雀右衛門のやりかたを移した『葛の葉』と三代目猿之助作の『博打十王』へとつながっていく。

 そして、第十回の筋書の冒頭、ごあいさつで現・猿之助は、こう語って、観客の心を揺さぶった。

「当初『十年続けると』声高に宣言してはいましたが、正直、これという明確なヴィジョンがあったわけではありませんでした。
 第一、先を考える余裕なんてありません。ただ目の前のことを必死でこなすのが精一杯でした。しかし、ふと気がつけば、いつの間にか十年もの歳月が流れていました」と、率直に書いている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。