野田秀樹の劇場。その2 紀伊國屋ホール、本多劇場から広大な空間をめざす。
大きな転機となったのは、八一年の『ゼンダ城の虜』の赤頭巾役に、当時人気絶頂であったアイドルグループ、キャンディーズの伊藤蘭が客演した舞台だろう。
七五年に沢田研二が唐十郎作、蜷川幸雄演出の『唐版・多岐の白糸』に出演したことがあったが、当時、テレビの人気者が小劇場に出演するのは一般的ではなかった。伊藤蘭の華が駒場小劇場にこぼれた。すでに翌年の紀伊國屋ホールでの『怪盗乱魔』への出演も決まっていたのだろうと思う。
夢の遊眠社は、揺籃の時代を終え、学生劇団からの脱皮を模索していた。八二年以降、紀伊國屋ホールと本多劇場を拠点として公演を繰り返していく時代へと移る。
この時期の傑作はなんといっても、八三年、本多劇場で初演された『小指の思い出』だろう。再演の舞台ではあるが、ソニーミュージックエンターテインメントからDVDが発売されているので、今でも追体験できる。
下北沢にある本多劇場は、三八六席の客席を持ち、八二年に開場したばかりであった。真新しい劇場空間が、渋谷の場外馬券場から、中世のニュールンベルグの冬へと転位していく。少年たちが寝ていたはずのふとんが、いつのまにか空を飛ぶ凧への変わっていく。鮮やかな演出に見惚れた。
野田は八三年九月二十二日の日記にこう期している。十五日の初日から八日目。
「ゼンダ城と優劣つけ難し という一般的な声 並びに、観客との一帯(ママ ルビ)感の復活のキザシ 駒場の劇場から離れて、漸く、一帯感のトレル空間を持つことができそうだ。それにしても、一月の紀伊國屋公演は、そこんところがたいへんだ」(『定本・野田秀樹と夢の遊眠社 一九九三年 河出書房新社 一五六頁』)
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。