十八代目中村勘三郎についてのお話。 2004年4月9日東急セミナーBE
中村勘三郎の現在性について、東急ゼミナーでお話をしたことがある。ずいぶん熱心な観客が集まって下さった。私の話も熱をおびた。このレクチャーのために用意したレジュメをアップします。
勘三郎(当時・勘九郞)は、何をめざしていたのか。
俳優としての大成。
折口信夫は、「かぶき讃」(中公文庫)のなかで、歌舞伎俳優としての顔の完成は、50歳すぎにきて、女形は数年で崩れるが、立役は比較的長持ちするといっている。
六代目尾上菊五郎は、六十代半ばで倒れているが、晩年の五年間には、特筆すべき仕事を残していない。渥美清太郎は、「六代目菊五郎評伝」のなかで、市村座から東劇、歌舞伎座に迎えられてからの、菊五郎が、稽古のいらない古典に終始し、新作への取り組みを怠ったことを、歌舞伎界全体のために嘆いている。
これから十五年の間に、どんな舞台を残すべきかを思案している。
伝統演劇の枠組みの中で、古典の達成者として生きていく。
こうしたやり方で、果たして歌舞伎が現在のような興行形態を、保ち得るのか。
文楽が凋落して、自立性を失っていったように、文化財として保護の対象となってしまうのではないかという危機感。(昭和三十八年、財団法人文楽協会の発足)
古典芸能の定義とは何か。
定期的に上演される新作を生み出していく力を失ったときに、その芸能ジャンルは、「古典」のなかに回収されていく。岡本綺堂「鳥辺山心中」、真山青果「元禄忠臣蔵」、三島由紀夫「椿説弓張月」、大佛次郎「たぬき」山本有三「坂崎出羽守」
・繰り返し上演される新作の必要性。
・劇場空間の創出。
・プロデューサーとしての自覚。
『鰯賣戀曳網』の成功から、喜劇の重要性を導き出したのではないか。
「愚図六」の不成功から、長谷川伸の復活は、求められていないと判断したのではないか。
必要なのは、斬新な演出家の登場である。それには、劇作家を兼ねているほうが、松竹の体制のなかで、うまくいくのではないか。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。