玉三郎と菊之助に何が起こったのか。伝承のさまざまなかたち。

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 伝承には、さまざまな形がある。

 名だたる家に生まれた歌舞伎俳優にとっては、師匠であり、親でもある父との共演がまず、なにより先立つ。歌舞伎の配役は、なかなか一筋縄ではいかないが、一般に親は子を子役として使う。祖父の意見が大きく左右することもある。
 次第に長じてくると、立役の親は、子を女形として、自分の相手役として使う。音羽屋菊五郎家も、このやりかたで、菊之助を育てた。つまりは、菊五郎家の家の藝、主に世話物で相手役として、菊之助を引き立てることで、役者としての成長を待つのだった。

 このやり方は、もちろん理にかなっている。
 たとえば、『天衣紛上野初花』の直侍であれば、菊五郎が直次郎を勤めるときに、相手役三千歳で菊之助を起用する。立役と女形という間柄だけではない。『髪結新三』の新三に勝奴、『弁天小僧』の弁天に南郷力丸など、同じ舞台を踏ませて、舞台で藝を「盗ませる」機会を与えるのが、子供に対する伝承の基本にある。

 ただし、このような伝承の形態が成り立つのは、親が芝居の芯となる役者であり、配役についての決定権を持つこと。
 また、子がそれに値するだけの努力を惜しまないこと。この二点が揃って、はじめて伝承は血の繋がる次世代へと渡される。

 もっとも、伝承は、こうした例ばかりではない。御曹司と生まれたなら、しかるべき先輩に藝を教わる機会が与えられる。
 たとえば、菊五郎の『摂州合邦辻』玉手御前を教えたのは、父六代目梅幸ではなく、梅幸の好敵手と目されていた六代目歌右衛門だった。門閥で成り立つ歌舞伎役者の世界は、こうした閉じられた伝承によって守られてきたのだった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。