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祝、文化勲章受章。七代目尾上菊五郎の自在。

 菊五郎さんと出会ったのは、『NINAGAWA 十二夜』の件で、ご縁ができたからのことである。
 シェイクスピアの歌舞伎化のような難しい仕事には、困難がつきまとう。演出家蜷川幸雄のプランは、菊五郎さんが、原作のマルヴォーリオとフェステを兼ねるものだった。
 この奇想は、歌舞伎役者が、二つ、三つの異なる役柄を自在に兼ねる能力に、蜷川さんが強く期待したところから生まれた。

 すでに上演台本の初稿はできあがっており、丸尾坊太夫と捨助を菊五郎さんが勤めること二なっていた。とこが、ある酒の席で、突然、「どちらか一役にならないか」と言い出した。制作担当と台本作家は、同席していたが、ふたりの顔色は、突然のことに青ざめているように見えた。菊之助さんもこの場を救う言葉もなかった。

 この場を収集するには、いったいどうしたらいいのか。仕方なく私は携帯で蜷川さんに電話をした。この新しい案を話した途端に、蜷川さんの逆鱗に触れた。
「それを説得するのが、おまえの役目だろうが」
 いつもは激しい言葉を使わない蜷川さんが、心底激怒しているのがわかり、私もふるえた。
 電話を切ることもできずに、その場で凍っていたら、菊五郎さんが、電話口にはでなかったが、蜷川さんに聞こえるように、
「わかった、わかった。両方やるから心配しなくていいよ」

 私に向けた言葉のように見せながら、蜷川さんに聞かせたのだろうと思う。その場は、とりあえず収まり、私は胸をなでおろした。冷静に考えると役を収めるのは、制作担当の役目のはずで、なぜ、私が怒鳴られたのかはよくわからない。まあ、長く生きているとそんなこともある。

座頭として生きてきた菊五郎さんと唯一無二の演出家として稽古場に君臨してきた蜷川さんが、ぶつからない理屈もない。

 けれど、このとき以来、稽古場でも、ふたりは、この日を境に、直接的に対立することはなかった。私は、この携帯の件で、菊五郎さんの大きさに触れた。自ら主張したことであっても、臨機応変に変えていく度量の深さに感動した。
 おそらには、こうした器量があってこそ、二代目松緑、七代目梅幸亡き後、菊五郎劇団の大所帯を、主宰していかれたのだろうと思う。

 新宿村での稽古は、期間が短いこともあり、スピーディーに進んだ。

 ミゾンセンヌの主要な部分は、蜷川さんの仕事。歌舞伎回りの下座や歌舞伎座の機構への配慮が菊五郎さんの仕事に見えた。
 けれども、稽古場にいる百戦錬磨の役者たちを押さえているのは、菊五郎さんで、その威厳というかディグニティがあって、場は成り立っていたのだろうと思う。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。