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【劇評171】吉右衛門、東蔵、雀右衛門、菊之助。「引窓」が照らし出す歌舞伎の未来。

 九月歌舞伎座、久し振りに一級の義太夫狂言を観た。

 平成から令和を代表する時代物役者といえば、吉右衛門の名前がまっさきに挙がる。

 四部制をとって、歌舞伎座が再開されて二ヶ月。本来は、これまで初代吉右衛門を記念して秀山祭行われていたが、残念ながら変則的な狂言立てとなった。
 そのなかで、吉右衛門が満を持して出したのが「引窓」。『双蝶々曲輪日記』のなかでも、親子関係のむずかしさ、なさぬ仲の辛さを描いて普遍性を持つ。
 また、明かり取りの窓と、仲秋の名月、放生会の日を描いて、趣向がおもしろく、情趣にあふれている。

 今回の上演は、吉右衛門の長五郎、東蔵のお幸、雀右衛門のお早、菊之助の与兵衛の配役である。吉右衛門の時代物を支えてきたふたりの女形に、清新な二枚目が加わった。

 嫁と姑にあたるお早とお幸が語るうちに、糸立てに身を隠し、白手手拭で頬被りをした吉右衛門の濡髪長五郎が花道から駆けて出る。この「出」がまず、見事で、からだをまるくしているが、相撲取りであり、今は罪を犯して負われる身分であると語り尽くしてしまう。

 しばし本舞台で実母のお幸と語り、立ち上がって、嫁のお早から煙草盆を渡され、上手の二階座敷へと去る。この姿もほれぼれとする色気である。

 相撲取りが人気商売であり、腕力だけではなく、色気を売るのが本質だと思い知らされる。東蔵は、実母の慈愛にあふれ、雀右衛門は突然のことに、戸惑う廓上がりの女の可憐さがよく出ている。

 やがて、菊之助の与兵衛の出である。
 町人でありながら、侍に取り立てらた喜び。歌昇の平岡丹平、種之助の三原伝造を案内する丁重さ。
 ここで菊之助は、肚を割らず、無邪気な歓びに恵まれた青年を弾むように演じている。二人侍をお幸の隠居所へ誘い、世話木戸を入るところで、髷をなでつけ、羽織を直す。単純な型だが、この人にかかると、観客も晴れがましさをともにできる。
 さぞ、うれしかろう、早く義理の母と愛妻に教えてやりたい気持ちに共感する。

 雀右衛門のお早とのやりとりでは、澄み切った心持ちになる。預かった十手などを自慢する与兵衛とは対照的に、お早の心は淀んでいる。

 お早が引窓の綱を引くと引窓が閉じる。光にあふれていた与兵衛の家が、急に暗くなったような心地さえする。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。