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イヤなやつでいい小説を書くやつと、立派な人間でへたな小説を書くやつと、君はどっちを取る? (久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第四十回)

 今井達夫は、その貴重な評伝『水上瀧太郎』(フジ出版社 昭和五十九年)のなかで、昭和八年ころ、水上邸で行われた水曜会の席で、不意に放たれた万太郎の発言を記憶に刻んでいる。

「ねえ、今井君、イヤなやつでいい小説を書くやつと、立派な人間でへたな小説を書くやつと、君はどっちを取る?」

 人格的には、とてもかなわないと思いつつも、作家としては私の方が上だと万太郎は自負していた。

 水上の父は明治生命の創業者、澤木四方吉は新潟の素封家の生まれ、小泉信三の父も学者であった。
 明治のエリートの家庭に生まれ、海外留学を経験した同窓の仲間たちは、すでに確固たる社会的な地位を築いていた。
 水上は経営者の一員となり、澤木四方吉、小泉信三は、母校の教授である。

 浅草の職人の子として生まれた万太郎には、文名がある。
 けれど、所詮は浮き草の稼業。人気が落ちれば、新聞、雑誌からも見放される不安がとりついて離れない。その心細さに人々は目を向けない。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。