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【劇評299】舞台は、役者の人間性を競う戦場なのか。仁左衛門、玉三郎の『与話情浮名横櫛』。松緑、左近の『連獅子』

 私が好きだった歌舞伎は、いつまで観られるのだろう。そんな不安が取り憑いて離れない。けれども、舞台は、役者の人間性を競う戦場だと考えるなら、歌舞伎に対する造詣など、よそに置いて、自分の勘で、役者の人間を観ればいい。最後はそれだけかもしれない。

 鳳凰会四月大歌舞伎は、昼の部は猿之助を中心に若手花形を鍛える『新・陰陽師』。企画を聞いたときに、歌舞伎に対して中期的な目標を持っているのは、猿之助なのだなあと実感したのを覚えている。

 さて、夜の部は、仁左衛門、玉三郎の至芸を楽しむ『与話情浮名横櫛』。このふたりの顔合わせの舞台が、観られることの幸福を思う。観客もこの現実をよく知っているから、私が観た夜の部は、満員御礼。西欧人観光客の姿もちらほら見えて、華やかな客席になった。

 今回の見どころは、平成九年、十一代目團十郎三十年祭のときに出た「赤間別荘」の復活である。このごろは、「見染」「源氏店」で済ませてしまう上演がほとんどである。もちろん、仁左衛門の与三郎、玉三郎のお富ならば、切ない一目惚れと苦さのある再会だけでも、観客を熱狂させただろう。確かに、「見染」での「羽織落とし」の件りは、洗練の極にあり、久し振りに上質の世話物を見た。

 けれど、お富が、赤間源左衛門(片岡亀蔵)の留守に、与三郎を誘い込み、情事へと誘う件り、女性が主導権を持っている関係性が強く打ち出されている。台本を切り詰めてはいるが、上手屋台に、押し込むときの強さ、

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。