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祝杯をあげても、鏡花はいまだ膝を崩さない。 「ところが、其処で、ひとつ御願があるんです」(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二十七回)

 翌、大正十年三月には、久保田万太郎は、市村座で鏡花の『婦系圖』を、やはり新派のために演出している。これが万太郎の初演出となる。

 万太郎は、『『婦系図』の稽古』と題した詳細な演出ノートを残している。
 序幕と三幕目の道具に明解な注文をつけ、全体をとおして台本に手を入れる。その趣旨は、舞台の都合にあわせたご都合主義を避けて、説明的な台詞を排するところにある。
 主役以外の人々の動きでその場の状況を観客に納得させる改変もある。
 この時点で万太郎が、演劇の文法に精通しているとわかる。
 この詳細なまでの演出ノートは、言外のうちに、演出家としての素質と、舞台に対する愛情を物語っている。

『『婦系図』の稽古』の末尾は、次のような言い訳でしめくくられている。 
「序でながら、今度のこの稽古にわたくしが関係したことはかなり友だちの間の評判を悪くした。そんな暇があるなら怠けないで小説を書けと叱られた。わたしだつて泉さんのものでなければこんな余計なおせつかいをしはしなかった」

 少なくともこの時点では、万太郎は芝居の世界に深入りするとは考えていない。あくまでじぶんじしんは小説家であり、演出家ではない。
 けれども、鏡花の小説が行き届かない脚色によって、その本質を失って舞台化されるのは見るにしのびない。ならば、みずから補綴と演出を担当しよう、鏡花に対する敬愛の念がそうさせたのだと語っているように思われる。

 大正十四年七月、鏡花全集の刊行がはじまった。
 予約申込者に頒布する限定版で、版元の春陽堂の広告によれば、本の体裁は「菊大判天金総絹表紙、岡田三郎助画伯の苦心の意匠になれる透かし絵金線装幀、全ての全集中最も贅沢なるもの、用紙純良、活字九ポイント総振仮名付、一冊八百五十頁位特製本」とある。
 小説・戯曲はもとより断簡零墨までを網羅し、存命中の作家全集としては異例の全集である。

 参訂者は、小山内薫、谷崎潤一郎、里見とん、水上瀧太郎、芥川龍之介とあるなかに、万太郎も名を連ね、編集実務には、単行本の装幀を長く担当した小村雪岱と、浜野英二があたっている。

 鏡花は大正十三年三月、瀧太郎に会い、全集の相談をもちかけている。
「原稿ならば、私の手元にあるのを何時でも御用達いたしましょう」
と応えている。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。