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野田秀樹『Q』(初演2019年)を思い出す。なんだ、私はこのときから、邪悪な力のことを考えていたんだ。

 現在、東京芸術劇場で上演中の野田秀樹作・演出『Q』の初演について、私は雑誌『悲劇喜劇』(2020年1月号)に、十五枚の劇評を書いている。

 野田の『野田版 研辰の討たれ』が初演のときには、歌舞伎座を大きく震撼させたが、十八代目勘三郎襲名の折、再演では、福助が扇をかざして「あっぱれじゃ」と言い放った部分も、それほど違和感なく観ることができた。初演と再演のあいだには、仮にまったく同じ演出だとしても、時代の変化とともに、私たちの受け止め方は、ずいぶん隔たりが生まれる。

初演の劇評に興味を持ってくださる方は、ぜひ『悲劇喜劇』のバックナンバーを、図書館などであたっていただければうれしい。ここでは、今、私が再読して気になる部分を抄録しておきたい。

『Q』のなかで、最終的に焦点が合うのは、戦争のその後である。
二十世紀はまぎれもなく戦争の世紀である。ならば、ロミオとジュリエットに、その若き純愛をまっとうした功績を讃えられ、永遠の命を与えられたとしたら、必ずや戦争に巻き込まれただろう。

 そこでは、正義や倫理の概念とは、まったく関わりのない市民を巻き込む総力戦が行われた。無残な殺戮を仕事として行った兵士たちは、殺人罪には問われないかわりに、名前を奪われ、識別番号をもとに搬送され、病院でうなされている。そんな苛酷な現実が舞台を覆っていく。

 戦争の後に、平和が来るなどというのは幻想に過ぎない。第二次世界大戦の後も、中国大陸に展開していた日本軍の兵士や移民たちは、容易には帰国できなかった。満州帝国の栄華と凋落、そして戦中の人体実験の悲惨と「その後」を描いたのは、野田の『エッグ』であった。

 この『Q』が終盤に執拗に描くのは、シベリアの収容所の虜囚となった無名の男たちの日常である。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。