見出し画像

「さふいふ若いかくれた読者のあることを認めて頂きたい-----先生のために先生の芸術のために」(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第二十三回)

 万太郎が鏡花に会う機会は意外に早くやってきた。

 瀧太郎留学の翌年、明治四十五年十月、俳句結社ホトトギス主催の観能会が水道橋の喜多能楽堂であった。

 鏡花を見かけた万太郎は、いあわせた生田長江に頼んで紹介してもらったのである。
 万太郎の内気な性格からしても、何か理由がなければ紹介の依頼もできずに、遠くから憧れのまなざしをそそぐばかりだったろう。
 けれど、万太郎には、意を決して紹介をたのむための、よき口実があったのである。事情を話し、
「一度お宅へお邪魔したい旨」を伝えたところ、「いつでも、どうぞ、と、先生は愛想よくいはれた。」

 その後の運びがいささかじれったくもある。
 ひとりでは心細く、長田幹彦とともに鏡花宅の門口までいったが、あいにく留守である。は
 じめて銀杏のそばの下六番町の家に招き入れられたのは、能楽堂の会話から一年がすぎていた。

 麹町六番町十一。万太郎は、六番町五の一と住所の名前が変わっても、長い間のなじみで、「下」をつけ、十一番地と強情に書く。

 明治四十三年の五月、長唄の師匠がすんでいたこの家に、鏡花は土手三番町から越してきた。二階建てのこじんまりとしたしもたやである。表には格子があり、玄関には硝子電灯が掛けられている。

ここから先は

1,805字
この記事のみ ¥ 100

年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。