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勘三郎が私たちに課題として残したもの

ときどきは、コンピュータのハードディスクの大掃除をすることにしています。

掃除のつねだけれど、気になる文章が出てきたときは、手が止まって、読み始めてします。そのうちに日が暮れて、茫然とするのが常でした。

以下に再録するのは、2005年4月9日、渋谷にある東急セミナーBEで行われたレクチャーのレジュメです。勘三郎は3月から5月まで、襲名披露興行を歌舞伎座で行っていました。

東急セミナーBEは、いわゆるカルチャーセンターで、私はしばらくのあいだ、熱心な担当者に恵まれて講座を持っていました。歌舞伎座のチケットとこみの値段設定ですから、ずいぶん高額な受講料でしたが、勘三郎はさすがに人気者ですから、30人くらいは受講者が集まっていました。

ときにはゲストを迎えることもあり、坂東彌十郎さんに来ていただいたのも懐かしい思い出です。彌十郎さんは、「私たちの出番や役は、芯になる役者さんが決まってからなのです」と率直に語っていたのを覚えている。

当時から、左團次さんの次は、彌十郎さんとの声が高かった。もう、今となっては、『助六』の意休を勤めるのは、時間の問題だろうと思う。


中村勘三郎の現在性について

中村勘九郎は、何をめざしているのか。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。