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ほんとにわたしは、庭に立つて、退屈しなかつたのだ。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十五回)

 水上瀧太郎の援護によって、小説「末枯」が文壇にふたたび入れられ、長いスランプから抜け出した万太郎は、この渡辺町の家で小説家としての収穫期を迎える。

 昭和十八年、「婦人公論」に発表された随筆『無言』には、新しい私を発見した驚きが生き生きと回想されている。

「が、さうはいつても、その渡辺町の二年あまりのあけくれは、わたしの一生でのいい生活だった。うそのない生活だつた。美しい生活だつた。
 わたしはわたしの一日の大半を、二階のその机のまへを退かなかつた。それほどわたしは、仕事に身を入れた。・・・・・・といつても、ときどきは、階下に下り、庭にでゝ、雲の往來をみたり、鳥の聲をきいたり、木だの草だのゝ、つねに止まることのない變化に注意したりした。・・・・・・東京の、それも浅草のやうなところにすみつゞけたわたしとすれば、いまゝでは、雲のうごきだつてあだにみすごしてゐたのだ。・・・・・・ました飼ひぬしのない鳥が、好き勝手に、木の枝をくゞつて鳴きつゞけることのめずらしさ。・・・・・・木だの草だのゝ、枯れたかと思へばまた、芽をふいたり蕾をふくんだりすることの不思議さ。・・・・・・こんな頑是ないことをいつたら君はわらふかも知れないが、ほんとにわたしは、庭に立つて、退屈しなかつたのだ。」

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。