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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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#尾上菊之助

【劇評286】觀玄改め、八代目新之助の『毛抜』は、荒事の本質に届いていた。

 堀越勸玄は、ひとかどの役者へと進み始めた。  十二月の歌舞伎座は、八代目市川新之助襲名、初舞台の演目として歌舞伎十八番の内『毛抜』が選ばれた。新之助は、弱冠九歳。大らかな荒事ではあるし、家の藝とはいえ、役と本人にあまりにも落差があるのではないか。演目と配役が発表されたとき、危ぶむ声があがった。  現実の舞台を観て、いらぬ取り越し苦労だとわかった、新之助は、現在ある力を振り絞りこの役に取り組んでいる。その誠実さに胸を打たれた。  以前、故十代目坂東三津五郎の聞書きをした。

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【劇評259】海老蔵の復活。歌舞伎座で炸裂する『暫』の大きさ。

 六月歌舞伎座は三年ぶりの團菊祭。三部制を取っているために、大顔合わせは限定されるが、第二部は、菊五郎、海老蔵、菊之助が出演して令和歌舞伎の水準を示す舞台となった。  まずは海老蔵による『暫』。團十郎家成田屋は、荒事の家だけに、海老蔵はなにより舞台で大きくあることを大切にしてきた。七ヶ月ぶりの歌舞伎座で気力体力ともに充実し、客席を圧する。  江戸の顔見世には、なくてはならなかった演目であり、柿色の素襖、車鬢と呼ばれる鬘、白い奉書紙がぴんと張った対の力紙、すべての要素が「力

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菊之助の『春興鏡獅子』と『京鹿子娘道成寺』配信から見えてきた舞踊の魔

 菊之助が国立劇場とともに収録した映像「尾上菊之助の歌舞伎舞踊入門」を観た。  『春興鏡獅子』と『京鹿子娘道成寺』が、昨年八月に収録されたが、今回、配信されたのは、それぞれ解説編と本編、計四本となる。  まず、解説編だけれども、外の景色からすると、国立能楽堂で収録されたものだろうか。入門の名にふさわしく、舞踊の背景を丁寧に語っている。菊之助の語りだけではなく、舞踊のダイジェストもインポーズされているので、解説を聞きながら、なるほどと膝を打つ楽しみがある。  私たちは舞台の

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「尾上菊之助の歌舞伎舞踊入門」が、明日から配信される。

 尾上菊之助さんは、現在、歌舞伎舞踊の頂点に立つ一人ですが、国立劇場が独自に収録した『春興鏡獅子』と『京鹿子娘道成寺』が配信されることになりました。「尾上菊之助の歌舞伎舞踊入門」芝居が休みの月に、渾身の力をもって、後世に残すべく制作された映像です。  収録は、それぞれ昨年の八月四日と二十日に、国立劇場大劇場で行われました。  収録の日には、私も劇場で拝見しましたが、藤間勘祖さんの立ち会いのもと、ぴりぴりとした空気で、舞台は張り詰めていました。  『春興鏡獅子』は、小姓弥生の美

【劇評252】正確な描画力にすぐれる菊之助の『盛綱陣屋』

 三月の国立劇場は、『近江源氏先陣館』を菊之助が出した。  「歌舞伎名作入門」と題したシリーズのひとつで、昨年の『馬盥』に続く。骨格の太い時代物を広く愉しんでもらうのが企画の方向だろう。今回も萬太郎による「入門 〝盛綱陣屋〟をたのしむ」があり、休憩を挟んで、丁寧に『盛綱陣屋』を舞台に掛けている。  菊之助の佐々木三郎兵衛盛綱は、初役。  近年は、立役が多く、しかも、『義経千本桜』の知盛のように、勇壮な英雄も演じている。  『馬盥』の光秀、『盛綱陣屋』は、いずれも陰影に富ん

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蜆売り三吉、五代目菊五郎の売り声

 二月歌舞伎座第三部「鼠小紋東君新形」について、続編を書きます。  この芝居の初演は、安政四年正月興行です。子団次の稲葉幸蔵が、河竹黙阿弥と語らって作った狂言ですが、蜆売りの三吉は、のちに五代目菊五郎となる十三代目羽左衛門。十四歳でしたが、五代目にあわせて当て書きされたとのことです。(上の写真は、五代目の稲葉幸蔵です。この役は、六代目、七代目、菊之助と受け継がれています)  その時代は、十五日の稽古があったというから、しっかりしたものができるはずです。中村仲蔵の弟子、鴻蔵

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丑之助の蜆売り三吉は、裸足で雪の庭を歩いたか?

 二月歌舞伎座第三部「鼠小紋東君新形」。  大正十四年三月、市村座。九十七年前のことである。  六代目菊五郎が稲葉幸蔵を勤めたとき、蜆売りの三吉は、七代目梅幸(当時の四代目丑之助)だった。雪の日に稽古したが、何度稽古しても、六代目は首をタテに振らない。 「バカヤロ、そりゃ畳の上の歩き方だ。おめえの役は蜆売りの三吉だぞ。最古の筒っぽを来て、紺の腹がけにひざの切れた股引きをはしょったわらじばきの蜆売りという役が、全然ハラに入ってねえじゃねえか。おれが見せるからよく見ておきねえ

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【劇評248】芯に立つ役者の力量。菊之助の『鼠小僧次郎吉』

 鼠小僧すなわち義賊との思い込みがあるが、黙阿弥の『鼠小紋東君新形   鼠小僧次郎吉』は、義賊であり盗賊であることの矛盾を鋭く突いている。  黙阿弥が書いた世話物のなかでも特異な地位を占めていて、上演例が少ない。それだけに芯に立つ稲葉幸蔵を演ずる役者によって、造型を自在にできる。  今回の菊之助による稲葉幸蔵は、偽善によって自ら苦しんでいく人間像を造型している。  特に二幕目の第三場、歌六が演じる辻番与惣兵衛とのやりとりがいい。役目を果たせないから殺してくれと願う与惣兵衛

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三月国立劇場。菊之助の『盛綱陣屋』は、丑之助が鷹揚たる小四郎を見せる。

 私信ではなくても、封書を開けるのは楽しい。愛用のペーパーナイフを使って、のり付けされたベロの部分に刃を入れる。何か、新しい情報にふれるときの儀式として、とても大切に思っている。  国立劇場から封書が届いた。  なんだろう。いつも案内が届く時期ではないのにと思って開いたら、三月歌舞伎公演の案内だった。一月の国立劇場公演筋書で、「演目=鋭意選定中。出演=尾上菊之助ほか」と予告されていた内容が決まったとの知らせだった。 「歌舞伎名作入門」と銘打たれたシリーズで、昨年は『馬盥

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菊之助の冒険、準備稿が完成しました。

 昨年のはじめから取材を重ねてきた『菊之助の冒険』ですが、ようやく準備稿が完成しました。菊之助さんによるまえがき、私のあとがきは、まだ書いていませんが、目次と本文は、ほぼ確定したことになります。  プリントアウトに再度目を通して、疑問点に付箋を付けて、著者の菊之助さんに加筆、訂正などをしていただき、より完成度のたかい状態で、入稿したいと思っています。  十代目三津五郎さんと同様の聞書きを作ったのは、二○○八年ですから、もう、十三年前のことになります。『坂東三津五郎 歌舞伎

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【劇評245】菊之助、勘九郎。哀惜こもる『ぢいさんばあさん』。

 目を瞠らせるスペクタクルばかりが歌舞伎ではない。  台詞を大切にした世話物が観たいと思っていたところ、十二月大歌舞伎の第二部に、『ぢいさんばあさん』を見つけて嬉しくなった。  森鴎外の原作、宇野信夫の作・演出だけれども、さすがに芝居巧者の宇野信夫だけあって、ある意味では荒唐無稽な話でありながら、観客の涙を誘う仕立てになっている。役者にとっては、宇野が作った虚構を、いかに活き活きと見せるかが課題となる。  まずは、若き日の美濃部伊織(勘九郎)とるん(菊之助)の初々しい若夫

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【追悼】二代目中村吉右衛門の夢

 悔いはないといえば、悔いはない。  悔いがあるといえば、悔いがある。  死は、だれにも等しく訪れると知ってはいても、残された人間に混乱をもたらす。  悔いがないのは、私が自覚的に歌舞伎を観始めた一九七五年から、二○二一年三月の『楼門五三桐』まで、四十五年近い歳月の舞台が、例外なくすぐれていたからである。  初代白鸚の次男として生まれ、祖父、初代吉右衛門の膝下で育てられた。その幼年時代の苦しみについては、本人が自伝で繰り返し語っている。  初代吉右衛門の一代で築いた藝を

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菊之助「読書日記」と歌舞伎の未来。

 歌舞伎役者はどんな本を読んでいるのだろう。  八代目坂東三津五郎は、教養人で、多数の著書を持っていることでも知られている。歌舞伎だけではなく、骨董などの趣味が知られ、エッセイも小技が効いている。  若くして亡くなった十代目は、菊五郎劇団の重鎮だった父の九代目に「おまえは八代目の血を引いている」と半ば揶揄されたと語っていた。つまりは、愛書家は、変わり者とされる世界なのだとわかる。  尾上菊之助が、日本経済新聞の読書欄に「読書日記」として四回のエッセイを寄稿している。  

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令和三年の菊之助。後半には『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、『摂州合邦辻』の玉手御前、『義経千本桜』のいがみの権太が見たい。

 現在の歌舞伎は、変則的な興行が続いている。  三部制を取っているために、出し物の長さにも制約がかかっており、狂言立てを作るにも苦心がいるのがわかる。  玉三郎や猿之助の談話からも、役者たちが自分の出し物について、時間の制約を考慮した上で企画を考え、松竹とのやりとりのなかで、番組が決められていると思われる。だとすれば、今まで以上に、役者本人の企画力、プロデュース力が問われる時代が来ている。

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