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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2021年1月の記事一覧

三月大歌舞伎も三部制。歌舞伎座が開いている意味を思う。

 三月の歌舞伎座、番組が発表になった。今年になってからは、三ヶ月続いて三部制を取る。緊急事態宣言の解除の時期が見えない今、終演は、二十時を回らないように組まれているのだろう。  勘三郎と三津五郎が、納涼歌舞伎を八月に始めたのは平成二年。当時は、昼夜二部制が揺るぎないとされていたから、納涼歌舞伎の三部制は意表を突いた。泉下にいるふたりも、まさか、歌舞伎座が毎月三部制になるとは、思いもよらなかっただろうと思う。  勘九郎と七之助は、第一部の『猿若江戸の初櫓』にで出る。中村勘三郎家

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藤田俊太郎 師・蜷川幸雄の思い出。蜷川スタジオのオーディションを俳優として受けた。その1

2016年9月12日。私は『権力と孤独 蜷川幸雄の時代』(岩波書店)の書き下ろしをしていた。そのため、10年に渡って蜷川幸雄の演出助手を勤めた藤田俊太郎君に自宅に来てもらい取材をした。書籍にはごく一部分しか使うことができなかったので、ここに再録しておきます。 長谷部浩 藤田君は東京芸術大学在学中にニナガワスタジオに入りましたね。 藤田 そうですね。入ったのは、2004年の4月です。 長谷部 いくつだったっけ? 藤田 24歳ですね。 長谷部 24か。 藤田 すいませ

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野田秀樹の劇場 その1 駒場小劇場から紀伊國屋ホールへ。

 「野田秀樹の劇場」と題して、2009年に書いた原稿が出てきましたので再録します。野田さんの作品論ではなく、劇場との関わりについて書いています。野田さんが、東大駒場キャンパスにあった小浜小劇場から、現在、芸術監督を勤める東京芸術劇場に至るまでの軌跡を概観します。海外での公演についても触れています。  このシリーズは、明日から全四回で、毎日更新いたします。どうぞお楽しみに。  思えば長い旅を続けてきた。  一九七六年、夢の遊眠社結成から、現在まで。二五年あまりの歳月が過ぎ去っ

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『野田版 桜の森の満開の下』の劇評。シネマ歌舞伎のDVD化を記念して。

 4月7日(水)に、シネマ歌舞伎『野田版 桜の森の満開の下』のブルーレイ、DVDが発売されるとのことです。夢の遊眠社時代から、再演を重ねてきた野田秀樹の『贋作・桜の森の満開の下』を、中村勘九郎、松本幸四郎、中村七之助、坂東彌十郎、中村扇雀らの出演で平成二十九年八月歌舞伎座で上演された映像です。  以下に、上演当時に私が書いた劇評を再録します。 【劇評81】『野田版 桜の森の満開の下』七之助の夜長姫の残酷 歌舞伎劇評 平成二十九年八月 歌舞伎座  八月納涼歌舞伎、第三部は

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【劇評68】『足跡姫』阿国と猿若勘三郎の魂。劇評を再録します。

現代演劇劇評 平成二十九年一月 東京芸術劇場プレイハウス  『足跡姫』(野田秀樹作・演出)を観た。  野田が歌舞伎界に進出した『野田版 研辰の討たれ』が二重写しになる作品となった。『野田版 研辰の討たれ』は、いうまでなく、十八代目中村勘三郎、十代目坂東三津五郎との共同作業で生まれた新作歌舞伎である。敵討ちを大義とする武家社会のなかで、刀の研ぎ屋あがりの辰次(勘三郎)が、誤って家老(三津五郎)を殺してしまったために、子息ふたり(染五郎、勘太郎・現勘九郎)に追われるが、ついには

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勘三郎のあしあと。野田秀樹「足跡姫」に寄せたエッセイを再録します。

 野田秀樹作・演出『足跡姫』(02017年1月。東京芸術劇場)のパンフレットに掲載された私の稽古場レポートを転載します。野田さんが、勘三郎さんを祈念して上演した舞台です。  懐かしい日々を思い出します。  師走のある日、中央区にある水天宮ピットに野田秀樹の稽古場を訪ねた。  稽古場では評論家は招かれざる客であると承知している。教育の場でもあった演出家蜷川幸雄の場合を除けば、私がこれまで稽古場を訪ねたのは、都合二十回を超えないだろうと思う。  野田の稽古場を訊ねたのは、思い

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勘九郎と七之助、五代目菊五郎ゆずりの覚悟。勘太郎、長三郎の巡業出演について。

中村屋の錦繍公演は、私たちの世代にとっておなじみだ。コロナウィールスの脅威によって、昨年は実現できず、今年は、春暁として巡業が持たれることになったと聞く。 歌舞伎の巡業は、公文協といって日本全国の地方公共団体が持っているホールを巡ることが多い。こうしたシステムでは、コロナの状況下では、公演実施に踏み切りにくいのが現実だろうと思う。別に自治体を責めているわけではない。彼らには彼らの事情があり、安全第一で運営するのは、公務員の定めだと思う。 ところが、勘九郎、七之助の兄弟は例

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明けない夜はない。李礼仙のインタビューを再読して。

自由な行動が制限されているので、どうしても陰鬱な気分になりがちだ。私自身の本来の仕事は執筆なので、図書館を自在に使えないのはとても残念だけれど、かといって原稿が書けないわけではありません。 私は特に怠惰なので、さまざまな口実を作って、書き下ろしの仕事を先延ばししてきましたが、今回の二度目の緊急事態宣言をきっかけに、執筆に力を注ぐ決意をしました。 自宅に閉じ込められているのではなく、書き下ろしのために自主的に缶詰になっていると思えばよいではないか。ちょっとした気持ちの持ちよ

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【劇評204】死の気配が漂うテレビ局。感染症による突然の死が、劇に盛り込まれている。永井愛『ザ・空気』三部作が完結した。

 永井愛の『ザ・空気Ver.3 そして彼は去った……』は、前二作と同様、テレビのニュースショウを舞台にしている。  反原発報道で圧力を受け、自ら首をくくった桜木正彦の影が、今を生きる人々の生き方に影響を与えている。  今回は、かつて反権力を唱えていた元・新聞記者で、現在は政権を擁護する政治ジャーナリストの横松輝夫(佐藤B作)を中心に物語が展開する。70.4度の発熱がある横松は、別室に隔離されるが、その部屋は桜木が縊死した部屋だった。  アシスタント・ディレクターの袋川(

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ウィーン大学のジャーナルにエッセイを発表しました。どうぞお読み下さい。

 これまでも時折、お知らせしてきましたけれど、ウィーン大学の日本学科が定期的に刊行している「MINIKOMI」というジャーナルに、エッセイを書き、インターネットにもアップロードされました。無料でダウンロードできますので、どうぞ、興味のある方は、お読み下さい。  この号は、平成特集です。私は日本演劇について書くように求められたのですが、平成は長期にわたった時代です。日欧の文化交流にしぼり、しかも、蜷川幸雄、野田秀樹を中心に原稿をまとめました。  バブル期にはじまった平成が、

【劇評203】幸四郎家三代の『車引』に酔い、勘三郎を受け継ぐ『らくだ』に笑う。

 新春の観劇予定を立てたのは、十二月の半ばで、緊急事態宣言が迫っているとは思っていたが、一月初旬になるとは予想していなかった。演舞場、国立も開いており、また、勤務先の仕事も詰まっていたので、歌舞伎座第三部を見るのは、十日とした。  結果的に、翌十一日から、第三部の開始時間が早まり終演は八時にならない新しい時間表が組まれた。  第三部は、高麗屋の繁栄を言祝ぐ『菅原伝授手習鑑』の『車引』。絵面の様式美と三つ子の個性が際立つ。白鸚の松王丸、幸四郎の梅王丸、染五郎の桜丸と、三代が揃

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【劇評202】めでたさも中くらいなり初芝居。歌舞伎座第一部を観て。

 めでたさも中くらいなりおらが春 一茶    コロナ渦が進行し、東京は危機に瀕している。都合があって第二部を先に書き、今、第一部の劇評を書こうとしているが、複雑な思いに捉えられている。  舞台に立つ役者は、マスクをつけるわけにはいかない。危険を覚悟しながら、舞台に立ち続けるのは至難の業で、尊敬の念を改めて持った。  さて、『壽浅草柱建(ことほぎてあさくさつどうはしらだて)』は、歌舞伎の正月ならではの曽我物。これまで「浅草新春歌舞伎」で修業を積んできた若手花形が、松也以下勢揃

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【劇評201】海老蔵一年ぶりの演舞場公演。『毛抜』で家の藝を大らかに勤める。

 昨年の春、三か月の團十郎襲名興行が予定されていた。  演劇界のだれもが今回のコロナ渦では、甚大な影響を受けているが、襲名が延期になってしまった海老蔵の心中を思うと実に切ないものがある。二○二○年のオリンピックに出場予定だったアスリートと海老蔵は、運命を狂わされたといっても過言ではない。さぞ無念だろう。  昨年一月に同じ新橋演舞場で座頭を勤めた『新春歌舞伎公演』から一年。東京での公演は久し振りで、どのような狂言建てになるか期待された。  これまでの座頭公演で取り上げてきた

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【劇評200】吉右衛門の澄んだ藝境を味わう『一力茶屋』。

 私のインターネットによる劇評も今回で二百回を数えた。  記念すべき回となったのは、寿新春大歌舞伎の第二部。 鴈治郎、扇雀の『夕霧名残の正月』は、先頃、亡くなった四代目藤十郎が新たに復活した作品である。かつてなじんだ夕霧はこの世を去ってしまった。その面影を偲んで、扇屋の主人三郎兵衛(又五郎)と女房おふさ(吉弥)は、形見の裲襠を衣紋掛けに飾っている。  そこへ、夕霧にいれあげたために実家を勘当となった若旦那伊左衛門(鴈治郎)が紙衣を着て登場する。夕霧(扇雀)を思ううち

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