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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2020年10月の記事一覧

【劇評185】長澤まさみ、秋山菜津子、阿部サダヲが、反ミュージカルの迷宮に遊ぶ。

 松尾スズキの舞台に登場する人物は、強烈は強迫観念に取り憑かれている。  『フリムンシスターズ』(作・演出松尾スズキ 音楽渡邊崇)は、ひりつくような痛みが散りばめられている。  コンビニの二階にあるボロアパートで、王城ちひろ(長澤まさみ)は、ふとんにくるまっている。コンビニの店長(オクイシュージ)は、十五分の休憩時間にちひろとセックスしようとするが、EDのためにうまくいかない。  島から東京に来て、このコンビニの奴隷となったちひろが、妹を轢く交通事故を万引きの常習犯の大女優砂

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【劇評184】絶望の中にも希望はある。シェアハウスの今を描く伊藤毅の『ののじにさすってごらん』

 日本で非常事態宣言が行われたのは、四月七日である。  もちろん五月二十五日には全面解除されている。けれど、私たちが新型コロナウイルスとともに、この地球に生きている現実は、じわりと私たちの考えや行動に影響を及ぼしている。  伊藤毅作・演出の『ののじにさすってごらん』は、シェアハウスに住む人々を描いている。  外国人たちが帰国していくなかで、ベトナム人のグエン・ヴァン・ダット(辻響平)と中国人のコウ・マーメイ(石原朋香)が残っている。  着ぐるみの俳優歌野(佐藤滋)やキャバ嬢

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三津五郎のメールアドレスが、自動入力で蘇ってきた。

 日本舞踊の坂東流が、百周年記念誌の準備を着々と進めている。去年から連絡があり、十代目三津五郎の評伝を書いたところ、先日、初校ゲラが届いた。  さすがに日本舞踊の流派だけあって、行き届いたご挨拶、ご連絡である。  細部に赤字を入れて、スキャンして、返送用のファイルを作った。今のソフトは優秀だから、スキャンが終わると直接Email添付ができる。メールソフトが立ち上がる。宛名を入れる段になって、坂東といれた。すると、坂東巳之助、坂東三津五郎が候補にあがった。  もちろん、十

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【劇評183】深まる秋。菊之助、踊り二題に遊ぶ。

 御園座で行われていた『錦秋御園座歌舞伎』の千穐楽、十八日に日帰りで行ってきた。台風などさまざま理由が重なり、ついに見逃すのかと残念に思っていた。  このプログラムの構成について、考えるところががあり、すでにこのNOTEにも、『京鹿子娘道成寺』ではなく、なぜ『鐘ヶ岬』なのか。『春興鏡獅子』ではなく、なぜ『連獅子』なのかを書いた。実際の舞台を観て、その実質を確かめなければと思い、なんとか見ることが出来て嬉しく思う。  この日は十二時からのAプロである。  まずは、菊之助の『

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『菊五郎の色気』を書いたあの頃。

 歌舞伎について、本格的に取り組むようになったのは、文春新書のために 『菊五郎の色気』を書いてからです。調べ物も多く、困難な書き下ろしだったけれど、今となっては懐かしい。  出版したのは、2007年の6月だから、もう13年が過ぎてしまった。 このころは、折に触れて、菊五郎さんとお目にかかる機会があった。  思い出に残っているのは、四度ある。  はじめに、この企画を進めるに当たって、新書の局長と、担当編集者と歌舞伎座の楽屋を訪ねた。菊之助さんに繋いでいただき、同席してもら

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キーボードより敬意が払われていないマウスとの日々。

 マウスは右手の延長なので、とても大切に思っています。  鼠は人々に嫌われることもおおいのですが、ミッキーは世界的な人気者ですし、トラックボール派は別として、マウスと無縁な人生を送っている社会人は希少動物ともいえるでしょう。私の家の小太郎は、肉球があるから、マウスはいらないよと言っています。  とはいえ、日常生活の一部、いや仕事のストレス軽減にかかわるマウスには、キーボードほど敬意が払われておりません。 私はロジクールのマウスをこれまで愛用してきました。MXMASTER

大向うさんの心持ちを思う。歌舞伎の大事な一部について。

 大向うを大切に思うのは、歌舞伎を構成するだいじな一部分だと思うからだ。確かに役者や地方を観に行く人はいても、大向う目当てというのは聞かない。(ごめんなさい。○○会の某さんでなけりゃ「石切梶原」は見られない、べらんめえ、という通もいるのかもしれません。)  私にとって大向うの調子は、芝居を盛り上げるというよりは、舞台上の人々とともに創っている創作者である。  なので、今月でいえば大向うを欠いた『石切梶原』や『魚屋宗五郎』は、炭酸を欠いたハイボールになる。

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【劇評182】仁左衛門が人の目利きをする「石切梶原」。残念だが大向うを欠く。

 すでに定評のある仁左衛門の「石切梶原」。二○○三年十一月歌舞伎座での上演とは、キャストを一新して、清新な舞台となった。  今回の眼目は、仁左衛門の梶原平三のたたずまいにある。  彌十郎の大場三郎と男女蔵の俣野五郎に、刀の目利きを依頼される物語だが、ここで仁左衛門は、人の目利きを行っている。  刀を持ち込んできた歌六の六郎太夫とその娘、孝太郎の梢の人品人柄。罪人とはいえ試し切りをしなければ目利きを信頼出来ない大場と俣野。  さらにいえば、娘を遠ざけ、自らも試し切りにされて

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【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。

 私が本格的に歌舞伎の劇評に手を染めたのは、もちろん、昭和ではなく平成になってからである。  書き始めた頃は、勘三郎や三津五郎だけではなく、先代芝翫、先代雀右衛門や富十郎も健在であったから、顔見世や襲名で大顔合わせになると、「昭和歌舞伎の残映」という言葉をたびたび使った。  なぜ、こんな話をはじめたかというと十月の国立劇場、第二部の『魚屋宗五郎』は、「昭和歌舞伎」とはいかないが「平成歌舞伎の精華」といいたくなるほどの出来映えであった。  『魚屋宗五郎』は、菊五郎の宗五郎

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【劇評180】白鸚と勘九郎ががっぷり四ッに組んだ角力場の値打ち。

 松本白鸚と伝承について、短く書くのは難しい。  けれども、こうしたテーマですぐに思い出すのは、一九八○年九月の歌舞伎座、夜の部で上演された『夏祭浪花鑑』なのであった。  なぜ『勧進帳』ではないかのかと問われるなら、このときの共演者が、白鸚の前の世代を網羅していて、このときの経験が今も、白鸚に流れていると思うからである。  このときの『夏祭浪花鑑』は、団七とお辰が先代十七代目の勘三郎、お梶が六代目歌右衛門、釣舟三婦が十三代目仁左衛門、義平次が三代目延若。  今、思い返

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さん喬と名人のありかたについての覚え書き。柳家さん喬独演会を観て。

 昨日、文京区役所のなかにあるシビック小ホールで、柳家さん喬の独演会を観た。

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