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仁左衛門と玉三郎の永遠。

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歌舞伎を長年のあいだ支えてきた片岡仁左衛門と坂東玉三郎の舞台を集めたマガジンです。ふたりが競演した『桜姫東文章』はじめ、近年の作品について書いた劇評を網羅しています。永遠の二枚目…
仁左衛門と玉三郎の舞台を、永遠に見たい。そんな気持でマガジンを作りました。
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#玉三郎

【劇評332】仁左衛門、玉三郎が、いぶし銀の藝を見せる『於染久松色読販』。

 コロナ期の歌舞伎座を支えたのは、仁左衛門、玉三郎、猿之助だったと私は考えている。猿之助がしばらくの間、歌舞伎を留守にして、いまなお仁左衛門、玉三郎が懸命に舞台を勤めている。その事実に胸を打たれる。  四月歌舞伎座夜の部は、四世南北の『於染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)』で幕を開ける。土手のお六、鬼門の喜兵衛と、ふたりの役名が本名題を飾る。  今回は序幕の柳島妙見の場が出た。この場は発端であるが、単なる筋売りではない。千次郎の番頭の善六と橘太郎の久作京妙の茶

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【劇評299】舞台は、役者の人間性を競う戦場なのか。仁左衛門、玉三郎の『与話情浮名横櫛』。松緑、左近の『連獅子』

 私が好きだった歌舞伎は、いつまで観られるのだろう。そんな不安が取り憑いて離れない。けれども、舞台は、役者の人間性を競う戦場だと考えるなら、歌舞伎に対する造詣など、よそに置いて、自分の勘で、役者の人間を観ればいい。最後はそれだけかもしれない。  鳳凰会四月大歌舞伎は、昼の部は猿之助を中心に若手花形を鍛える『新・陰陽師』。企画を聞いたときに、歌舞伎に対して中期的な目標を持っているのは、猿之助なのだなあと実感したのを覚えている。  さて、夜の部は、仁左衛門、玉三郎の至芸を楽し

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【劇評297】美と醜、対話と独白。人間の根源に迫る玉三郎の『髑髏尼』

 なぜここまで暗い芝居をあえて舞台にのせるのか。  吉井勇作、坂東玉三郎演出、今井豊茂補綴の『髑髏尼』を観て、正直いっていぶかしく思った。  吉井勇の作は、大正六年。風変わりな歌舞伎が好まれた時代の初演である。筋書によると、玉三郎は昭和三十七年に、六代目歌右衛門の髑髏尼、十七代目勘三郎の七兵衛と平重衡で上演された舞台が目に残っていると語っている。今回の舞台は、幼い頃に観たこの特異な上演を、玉三郎独自の美意識によって再構成したのだろう。  第一場の都万里小路は、平家が都を

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玉三郎と菊之助に何が起こったのか。伝承のさまざまなかたち。

 伝承には、さまざまな形がある。  名だたる家に生まれた歌舞伎俳優にとっては、師匠であり、親でもある父との共演がまず、なにより先立つ。歌舞伎の配役は、なかなか一筋縄ではいかないが、一般に親は子を子役として使う。祖父の意見が大きく左右することもある。  次第に長じてくると、立役の親は、子を女形として、自分の相手役として使う。音羽屋菊五郎家も、このやりかたで、菊之助を育てた。つまりは、菊五郎家の家の藝、主に世話物で相手役として、菊之助を引き立てることで、役者としての成長

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【劇評218】南北、郡司学、仁左衛門、玉三郎、奇跡の巡り会い、ふたたび。

 歌舞伎では、一座を代表する女方を、畏敬もって立女方(たておやま ルビ)と呼ぶ。  六代目歌右衛門、七代目梅幸、四代目雀右衛門、七代目芝翫は、歌舞伎座の立女方にふさわしい威光を放っていた。玉三郎は、歌舞伎座のさよなら公演のあたりから、その名に、ふさわしい存在だと私は思っていた。  詳しい事情はわからないけれども、いつの間にか、特別舞踊公演などの独自の公演が増え、重い演目の役を勤める機会が少なくなっていった。歌舞伎の世界にとって、このような動向は、とても残念なことだと思って

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【劇評263】語りと身体。『ふるあめりかに袖はぬらさじ』に観る玉三郎の至芸

 大女優の仕事を女方が引き継ぐ。  杉村春子のような大女優の当り役は、後継者探しがむずかしい。杉村が牽引してきた文学座にとって、なにより大切な『華々しき一族』や『女の一生』についても、杉村が唯一無二の存在であっただけに、後を引き継ぐ女優は、困難に立ち向かわなければならなかった。  杉村がまだ存命のうちに、坂東玉三郎は『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(有吉左和子作)を新派に客演するかたちで手がけている。  私が観たのは、平成元年五月、新橋演舞場の舞台で、なるほど玉三郎ほどの傑

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仁左衛門の病い。歌舞伎の今後をめぐって。

仁左衛門が、帯状疱疹になったと聞いて、胸が痛んだ。  この病気の痛さ、辛さは、体験した者にしかわからない。昨年の十月十六日に発症して、この病いそのものは、一ヶ月で終息したのだけれど、帯状疱疹後神経痛の痛みが和らいだのは、一月も半ばになってからだろうか。半年が経過した今も、神経痛を沈めるタリージェの服用は続いている。朝、起きたときのひりつくような痛みはまだ取れていない。  私は腹部だったが、仁左衛門は、頭部だったと聞く。発症の当座は、鬘を乗せるための羽二重が痛みで付けられな

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【劇評287】目に焼き付けておきたい玉三郎の揚巻。

 師走の襲名披露は、一年の締めくくり。しかも夜の部は、配役を一新した『助六由縁江戸桜』が出た。  今月が待ち遠しくてならなかったのは理由がある。先月、玉三郎の揚巻を観ることが出来なかったからである。  これはもちろん私の推測にすぎないけれども、玉三郎の揚巻は、これが最後になるのではないかという予感がある。衣裳が重いのは周知のことだ。藝域が頂点に達すると、揚巻のような体力的に厳しい役がむずかしくなる。私は、見納めのつもりで、歌舞伎座へ向かった。  私が観た日の配役は、團十