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ドアを閉めて書く。そして、ドアを開けて書き直す
先日、「最近、note書けないんですよね」と相談される機会があり、「書くこと」についての2冊を紹介した。
「文章の創作の難しさ」については、この2冊を、自分なりに解釈した「書けないひとのためへのアドバイス」を3つ紹介したい。
書く動機は、感情的であっていい
発信が、リスクになるようなシーンも増えてきている。感情的につぶやいたツイートが炎上につながったりしている。読み手が増えてくると、批判的なコメントも増えてくる。
そうなってくると、「感情を動機に書いてはいけない」という抑制が働くように思える。
しかし、感情は創作の起点だ。プロの書き手でもなければ(あるいはプロの書き手であっても)、感情抜きに一つの文章を書き切ることはできない。
ものを書くときの動機は人さまざまで、それは焦燥でもいいし、興奮でも希望でもいい。あるいは、心のうちにあるもののすべてを表白することはできないという絶望でもいい。結婚したいからでもいいし、世界を変えたいからでもいい。動機は問わない。
自分は感情によって書くことがあります。たとえば、なにか憤りをおぼえることがあったら、その気持ちに身を任せ、思うところを一気に書ききってみる。書き終わるとだいたい気分が落ち着いているので(笑)、冷静な気持ちで「怒り」の部分を削り取ってあげる。そうすると、結果的にひとつの文章ができあがっている…というような。
感情的に書き始めていい。大事なのは、書いた後で冷静になること。その怒りや負の感情、読者視点をもって作り上げた文章を殺す冷静さだ。
読者を信じて、削る・結論から書く
最後まで読んでもらいたい。
そう思うほど、結論を後に書こうとする。出し惜しみするようになる。
しかし、記事で言いたいこと・答えが、最初に書いてあるからこそ、続きを深掘りしたくなるのが、現代人のコンテンツ摂取。
だから、主張は出し惜しみせず最初に。 答えがない、後からしか出てこない記事は、ファーストビューで離脱されてしまう。
どうして、無駄なことをダラダラと書いてしまうのか。それをスティーブン・キングは、「不安があるからだ」とバッサリ答えている。
下手な文章の根っこには、たいてい不安がある。自分の楽しみのために書くなら、不安を覚えることはあまりない。そういうときには、先に言ったような臆病さが頭をもたげることはない。
だらだらとした形容詞や副詞、使い古された表現も同じことだと言っている。
あなたは自分のことがよくわかっているはずだ。自信を持ち、能動態でどんどん書き進めていけばいい。それで何も問題はない。"彼は言った"と書くだけで、読者はそれがどんな口ぶりだったのか(早口か、ゆっくりか、嬉しそうにか、悲しそうにか等々)わかってくれる。
もし読者が沼でもがいていたら、もちろんロープを投げなければならない。が、だといって、九十フィートの鉄のケーブルで打ちのめすようことがあっていいわけはない。
最後まで読者が読んでくれるような、ちょっとしたテクニックも、スティーブン・キングは紹介してくれている。
優れた小説はかならずストーリーに始まってテーマに終わる。テーマに始まってストーリーに行き着くことはまずない。
だいたいのコンテンツで、一番面白いし、引き込まれやすいのは、「ストーリー」だ。もちろん、伝えたいテーマは、書き手にとって、一番重要なことかもしれないが、多忙な読者からすると、そんな情報は、「面白かったら読む」程度のものだ。まずはストーリーから始めると、面白いほど、読んでもらえるになる。
ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ
まずは、書き切ることだ。書き切らなければ、当然、人に読んでもらうこともできない。
最初の段階では、まず書物全体の草稿をざっと書くことからはじめます。そのさい自分に課する唯一の規律は決して中断しないことです。
同じことを繰り返したり、中途半端な文章があったり、なんの意味もない文章がまじっていたりしてもかまいません。
大事なのはただ一つ、とにかく一つの原稿を産み出すこと。もしかしたら、それは化物のようなものかもしれませんが、とにかく終わりまで書かれていることが大切なのです。
つい文章を書きながら、「この表現ってどうなっていたっけ?」「もっといい表現はないっけ?」「この文章つまらなくないか?」「この内容って正しかったっけ?」「この記事って、どんな内容だったけ?リンクはどこだったけ?」と、思い浮かんでしまい、書くことを中断してしまいがちだ。
「正しく書こう」という思いは、書き切る邪魔になる。
こういうときに、教えてもらったテクニックが「ライターモード」と「編集モード」を分けておくことだ。
スティーブン・キングも「書く時点」と「削る時点」とで視点を分けるように言っている。
ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。言いかえるなら、最初は自分ひとりのものだが、次の段階ではそうではなくなるということだ。原稿を書き、完成させたら、あとはそれを読んだり批判したりする者のものになる。
ライターモードは、書くことに集中したモードだ。このモードのときには、ただ文章を書くこと、増やしていくことだけに集中しよう。
冗長表現を気にしたり、ソースを確認したり、章を入れ替えたり、タイトルを何通りも考えたりしなくていい。とにかく、書き切ることに集中するのだ。ドアを閉めて書く。
立ち止まることなく、欠落も重複も厭わず書き続けること、読み手に伝わるようにとか、分かりやすくとか、印象深くとか、そんなことをすべてあきらめ、ただ自分が書こうとしているものが一体何なのか、それを知るためだけにだけ書き続けること
そして、書き終えたら、編集モードに切り替える。編集モードは、分かりやすくすること・削ることに集中するモードだ。ドアをあけて書きなおす。編集モードは、削る仕事。削ることを損と思わないこと。
手直しをするときにいちばん大事なのは、余計な言葉をすべて削ることだ
いいものを書くためには、不安と気どりを捨てなければならない。気どりというのは、他人の目に自分の文章がどう映っているかを気にすることから始まる。それ自体が臆病者のふるまいである。
「この情報も入れよう」「この表現を追加しよう」は、このモードの時には不要だ。どうしても入れたいものがあれば、ひと段落ついた後で、ライターモードに切り替え直して始めよう(だいたい、そうなると、「やっぱり要らんな」となる)。
書ききった自分を褒めながら、同時に、気どりや不安を恥ずかしく思いながら、読者を信じながら削っていき、結論を伝えていこう。
できるなら、誰かに見せてみるのもいい。
感情を起点に書くこと、書いたものを削っていくこと。どちらも大変な苦悩だが、それでも書くことはいいことだ。
たとえ、たくさんの人に読んでもらえなくても、シェアされなくても、スキだつかなくても、「自分のなかの思考を取り出し、研磨すること」、それだけでもスッキリする。
ただ、一つだけ、今の時代において、「ドアをあけて書きなおす」ことも大切にしておきたい。Twitterでもnoteでもはてなブログでも、「刺激的な」、人間の本能をそそるようなコンテンツが増えている。
ドアを閉めて書き続けていくこと、ネガティブな感情や怒りを再生産しがちになる。
一瞬スカッとすることや人より賢くなったつもりになることが、創作の醍醐味だろうか?
ドアをあけて書きなおす、他人から見たことの自分の考えを客観視すること、それもまた、新しい思考の扉を開いてくれるものとなる。
ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ。言いかえるなら、最初は自分ひとりのものだが、次の段階ではそうではなくなるということだ。原稿を書き、完成させたら、あとはそれを読んだり批判したりする者のものになる。
参考文献
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