ドアを閉めて書く。そして、ドアを開けて書き直す
先日、「最近、note書けないんですよね」と相談される機会があり、「書くこと」についての2冊を紹介した。
「文章の創作の難しさ」については、この2冊を、自分なりに解釈した「書けないひとのためへのアドバイス」を3つ紹介したい。
書く動機は、感情的であっていい
発信が、リスクになるようなシーンも増えてきている。感情的につぶやいたツイートが炎上につながったりしている。読み手が増えてくると、批判的なコメントも増えてくる。
そうなってくると、「感情を動機に書いてはいけない」という抑制が働くように思える。
しかし、感情は創作の起点だ。プロの書き手でもなければ(あるいはプロの書き手であっても)、感情抜きに一つの文章を書き切ることはできない。
感情的に書き始めていい。大事なのは、書いた後で冷静になること。その怒りや負の感情、読者視点をもって作り上げた文章を殺す冷静さだ。
読者を信じて、削る・結論から書く
最後まで読んでもらいたい。
そう思うほど、結論を後に書こうとする。出し惜しみするようになる。
しかし、記事で言いたいこと・答えが、最初に書いてあるからこそ、続きを深掘りしたくなるのが、現代人のコンテンツ摂取。
だから、主張は出し惜しみせず最初に。 答えがない、後からしか出てこない記事は、ファーストビューで離脱されてしまう。
どうして、無駄なことをダラダラと書いてしまうのか。それをスティーブン・キングは、「不安があるからだ」とバッサリ答えている。
だらだらとした形容詞や副詞、使い古された表現も同じことだと言っている。
最後まで読者が読んでくれるような、ちょっとしたテクニックも、スティーブン・キングは紹介してくれている。
だいたいのコンテンツで、一番面白いし、引き込まれやすいのは、「ストーリー」だ。もちろん、伝えたいテーマは、書き手にとって、一番重要なことかもしれないが、多忙な読者からすると、そんな情報は、「面白かったら読む」程度のものだ。まずはストーリーから始めると、面白いほど、読んでもらえるになる。
ドアを閉めて書け。ドアをあけて書きなおせ
まずは、書き切ることだ。書き切らなければ、当然、人に読んでもらうこともできない。
つい文章を書きながら、「この表現ってどうなっていたっけ?」「もっといい表現はないっけ?」「この文章つまらなくないか?」「この内容って正しかったっけ?」「この記事って、どんな内容だったけ?リンクはどこだったけ?」と、思い浮かんでしまい、書くことを中断してしまいがちだ。
「正しく書こう」という思いは、書き切る邪魔になる。
こういうときに、教えてもらったテクニックが「ライターモード」と「編集モード」を分けておくことだ。
スティーブン・キングも「書く時点」と「削る時点」とで視点を分けるように言っている。
ライターモードは、書くことに集中したモードだ。このモードのときには、ただ文章を書くこと、増やしていくことだけに集中しよう。
冗長表現を気にしたり、ソースを確認したり、章を入れ替えたり、タイトルを何通りも考えたりしなくていい。とにかく、書き切ることに集中するのだ。ドアを閉めて書く。
そして、書き終えたら、編集モードに切り替える。編集モードは、分かりやすくすること・削ることに集中するモードだ。ドアをあけて書きなおす。編集モードは、削る仕事。削ることを損と思わないこと。
「この情報も入れよう」「この表現を追加しよう」は、このモードの時には不要だ。どうしても入れたいものがあれば、ひと段落ついた後で、ライターモードに切り替え直して始めよう(だいたい、そうなると、「やっぱり要らんな」となる)。
書ききった自分を褒めながら、同時に、気どりや不安を恥ずかしく思いながら、読者を信じながら削っていき、結論を伝えていこう。
できるなら、誰かに見せてみるのもいい。
感情を起点に書くこと、書いたものを削っていくこと。どちらも大変な苦悩だが、それでも書くことはいいことだ。
たとえ、たくさんの人に読んでもらえなくても、シェアされなくても、スキだつかなくても、「自分のなかの思考を取り出し、研磨すること」、それだけでもスッキリする。
ただ、一つだけ、今の時代において、「ドアをあけて書きなおす」ことも大切にしておきたい。Twitterでもnoteでもはてなブログでも、「刺激的な」、人間の本能をそそるようなコンテンツが増えている。
ドアを閉めて書き続けていくこと、ネガティブな感情や怒りを再生産しがちになる。
一瞬スカッとすることや人より賢くなったつもりになることが、創作の醍醐味だろうか?
ドアをあけて書きなおす、他人から見たことの自分の考えを客観視すること、それもまた、新しい思考の扉を開いてくれるものとなる。
参考文献
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